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松尾卓次の島原の歴史 Q&A 其の一四

今回は江戸時代後期・明治・平成それぞれの時代の島原半島にまつわる歴史クイズを解きながら、「島原の歴史」を探求してみましょう。皆さんも一緒に考えてみてください。では、問題です。

Q 1 島原藩校「稽古館」が開校したのは西暦何年?

Q 2 口之津町出身で、日系カナダ移民第1号となった人物の名は?

Q 3 明治41年、島原鉄道の初代社長になった人物の名は

Q 4 島原市平成町にある、雲仙火山と災害の様子を学習できる施設の名は?

A 1 1793年 ― 稽古館と済衆館 ― 島原市先魁町・城内二丁目 ―

島原藩校の始まりが1793(寛政5)年に開かれた稽古館で、その後、医学校の済衆館も1821(文政4)年に開校した,
深溝松平氏初代島原藩主・松平忠房は、「文武両道こそ藩の基盤である」と、自ら講書を開き、家臣にも聴講を勧めていた,
またいろんな書物を集めて『尚舎忠房文庫』を作り、それが今も伝わる『松平文庫』で、1万冊を収蔵している,
この好学の遺風が代々伝えられて、藩校となって実現した,
「自今、士卒族の男子歳8歳より入校、学に就くべし,
業に奉仕する者は勤務の余暇に登校し、会読、講義を聴講すべし」との布達が出された,
学科は徳行、経学、文学、史学、国学、律学、兵学、医学、天文学の9科があった,
稽古館はその後1834(天保5)年には校地1800㎡、建物490㎡へと拡張した,
通学生70~80人、教師37人、事務方7人であった,
島原の教育のルーツはここから始まったといって良いほど、その後の教育に大きな影響を与えた,
さらに充実させ、時勢に適用した医学の研究と修業が必要と、藩主の別邸・常盤御殿内に済衆館を独立させた,
医者の養成だけでなく、藩医や町・村医の修業の場でもあった,
また医鑑制度を設けて、町医や村医の医療に関する取締りにあたった,
1843(天保14)年にはシーボルトに学んだ賀来佐之(佐一郎)を教授に招いて、実証的な西洋医学を取り入れている,
人体解剖の実施、種痘を導入、薬草園の経営などとハイレベルの藩校であった。

Q1 稽古館跡地に立つ案内板(島原市先魁町)

 

A 2? 永野万蔵 ― カナダの万蔵 ― 南島原市口之津町 ―

日系カナダ百年祭が開かれた時、永野万蔵が1877(明治10)年にニューウエストミンスターへ上陸したのを、日本人移民の始まりと決定した。
この人、永野万蔵は口之津村に1855(安政2)年頃生まれた。
18歳の時からイギリス船に乗り込んでシャンハイやホンコン、ボンベイなど各地へ渡った。
そしてカナダへ着いた時、密入国する。
サケ獲り漁業や港湾人夫として働いて元手を蓄え、シアトルで雑貨店を開いた。
さらにレストランやホテルなど手広く営業し、塩サケの製造・輸出でさらに利益を上げた。
それでカナダ大尽と呼ばれ、当地の日本人会の会長にもなった。
しかし第一次世界大戦後の世界恐慌時に自宅兼事務所を火災で失う。
さらにスペイン風邪に冒されて失意の中で帰国した。
口之津で養生するが叶わず、70年の生涯を終わった。
今、バンクーバー市郊外の高峰に「マウント・ナガノマンゾー」と名づけられた山がある。
これは日加友好のモニュメントとしてカナダ政府が決めたものである。

【白石正秀「口之津町近代史年表」】【松尾卓次「おはなし島原の歴史」】

永野万蔵夫妻

 

A 3 植木元太郎 ― 島原鉄道の開通 ― 島原半島 ―

「ピー! カッタン・コットン・カッタン・コットン……」
1911(明治44)年6月22日、島原半島を始めて汽車が走った。
最初は諫早・愛野間であったが、2年後には島原湊まで42kmが全通した。
鉄道の開通は島原半島の人々や町村に計り知れない恩恵をもたらした。
島原の文明開化はここに始まったと言っていいくらいである。
そのおおもととなったのが、1906(明治39)年に在京の旧藩士らが出した「島原鉄道敷設趣意書」である。
「物資の集散地である島原湊から本土へ、石炭輸出地の口之津、全国無比の名湯、小浜・温泉(雲仙)を結ぶ3本の鉄道を建設し……」と、発表した。
1908(明治41)年、島原鉄道創立総会が島原町で開かれて植木元太郎を社長に選び、資本金90万円、県と郡からの補助も受けて動き出す。
翌年から工事に取り掛かり、4年かかって全通させた。
この時走った機関車が、あの日本で初めて東京・横浜間を走った一号機関車であった。
島原でも一号機関車として20年間活躍する。
今では国の重要文化財として東京・交通博物館へ保存・展示されている。
その車体には「惜別感無量 昭和五年六月 為記念 島鉄社長 植木元太郎識」と書かれたプレートが光っている。
【島原鉄道「島原鉄道の歩み」】【松尾卓次「おはなし島原の歴史」】

植木元太郎像(島原市弁天町 霊丘公園)

 

A 4 1964年 ― 普賢岳の噴火 ― 島原市・南島原市 ―

1990(平成2)年秋、普賢岳が噴火を始めた。
翌1991年6月3日には大規模な火砕流が発生して死者43人を出す大惨事となった。
その後もたびたび火砕流が起こり、雨季になると土石流が発生して、島原市安中・千本木両地区や深江町瀬野地区に被害を及ぼした。
島原市だけでその面積が600haと拡大した。
1995(平成7)年には噴火活動の終息が宣言されたが、その間に火砕流が9400回、土石流が32回発生した。
その被害総額は2300億円に達した。
現在でも各地を回ると、災害当時の様子を知ることが出来る。
水無川下流には土石流に襲われた家屋をそのまま保存している「土石流被災家屋保存公園」があり、火砕流の直撃を受けた大野木場小学校と「大野木場砂防みらい館」、普賢岳を間近に望める「平成新山ネイチャーセンター」、総合的に雲仙火山と災害の様子を学習できる「雲仙岳災害記念館」などの諸施設がある。
【島原市「広報しまばら雲仙岳噴火災害特集号」】

雲仙岳災害記念館からみた普賢岳(島原市平成町)

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 9:30~「乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~」放送中!

過去の記事はこちら。
松尾卓次の島原の歴史 Q&A 其一三
松尾卓次の島原の歴史 Q&A 其一二
松尾卓次の島原の歴史 Q&A 其一一
松尾卓次の島原の歴史 Q&A 其の十
松尾卓次の島原の歴史 Q&A 其の九
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島原の歴史50選「第2回 切支丹時代」
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「人物・島原の歴史シリーズ 第5回 新しい時代を切り開く」

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