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島原市シティインフォメーション

令和5年から6年へのバトンタッチ、それは島原城築城400年の幕明けとなります。
関ヶ原の戦いや大坂夏の陣で武功を上げた大和(奈良県)五条二見城主であった松倉重政公は1616年(元和2年)に肥前日野江(南島原市)城主として島原半島へ入りました。
その際日野江城と原城を廃して島原の森岳の丘におよそ7年の歳月をかけて1624年(寛永元年)に島原城を完成させました。
4万石の大名としては、分不相応な規模の城を築きました。
重政公が何を考えていたのかミステリーですが、時の徳川幕府がルソン攻略の拠点にしたかったのではないかとの考えもあります。
築城により、農民の反発やキリシタンの存在が、島原の乱の原因となったとの説もありますが、重政公の城造りに合わせて現在の城下町が形成され、島原市が島原半島の中心地として発展を遂げてきたのも重政公の大きな貢績です。
その後、寛政4年の島原大変肥後迷惑や平成の雲仙・普賢岳噴火災害など島原城は歴史の中心にあり、市民の努力と復興などを見守りつづけています。
令和6年1月1日午前0時、カウントダウンで幕明けです。
市民の皆さんにとって、島原市にとって、さらに訪れる多くの方にとっても、400年の節目として思い出になる1年となりますように島原城築城400年を皆さんで迎えましょう。

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