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松尾先生のおはなし・島原の歴史 第5回 島原大変肥後迷惑

 

〈はじめに〉

今回は、島原大変肥後迷惑と言って、220年ほど前に起こった大災害の話です。
平和な江戸時代、松平のお殿様がおさめるようになったら、島原の土地は安定し、産業や文化などがのび、人口も増えていきました。
その島原地方に1792年、普賢岳が噴火し、眉山が大崩壊して大津波が襲う大災害が起こりました。
島原の城下町がかき消え、領内人口の6%が一夜のうちに亡くなるという出来事が起こりました。
しかし、私たちのご先祖様は見事に立て直し、さらに豊かな町や村をつくって来たのです。

現在の眉山

1、 あっ、地震だ

グラグラ、ミシッ、ミシミシ、グラグラグラ、、、
気持ちよく眠っていた友君は、突然起きた地震でびっくりして目を覚ましました。
「お母さん、地震だ!」。
お母さんも気付いて、もう起きていました。お父さんも驚いています。
「また島原大変のように、眉山が崩るっとじゃなかろうかい」。
「何ね、その島原大変っていうのは?」。
「それはねぇ~、今から220年ほど前に起きた地震たい。
そのために眉山が崩って、島原の町は全滅するし、大津波も起って1万人もの死者が出たとって」。
「ふ~ん、そがんこともあったと。もっと、そのことば話して」。
「また明日たい。もう地震もこんじゃろけん、さあ、寝ようで、、、、」

肥前温泉災記

2、 むかしへ、タイムスリップ

いつの間にか、うとうとして眠っていた友君は夢の中で、200年ほど昔にタイムスリップしたようです。
ちょんまげをゆい、着物姿にワラジばきの人たちがのんびりと歩いています。
まわりはワラぶきの家ばかりです。
その屋根越しに、白く輝く大きな建物が見えます。

「アッ。あれは島原城だ」
そんなら、おいは昔の島原にいるとかにゃ。不思議かねエ~

グラ、グラグラ、、、ドド、ドシーン! 友君が昔の島原の町を歩いているときです。
ひどい地震がまた起こりました。
家の土壁が崩れた前で、町人が心配そうに話しています。

「また、ひどか地震じゃったね」。
「こん前んふとか地震で、小浜村のハゼ山番人小屋のじいさんが押しつぶされたとげな」。
「おおくわばら、くわばら。おいたちも押しつぶされっごてなっとじゃなかろうかい」。

前の年の秋ごろから始まった島原半島を襲う地震は、毎日のように起こり、あちこちで被害が出始めました。
その年の正月も、おちおち安心して過ごせなかったある日のことです。
冷え切った夜を突き破るかのように今日も大きな太陽が有明海より登ります。
この頃の太陽はいつもより大きく、そして赤く感じられます。
その朝日に輝く普賢岳を見た人々は、みんなびっくりしました。

3、焼山見物

「ありゃつ、普賢さんから煙が出よっとん」。「ほんてまあ、普賢が火ば吹くとかにゃ」。

黒い噴煙がもくもくとわき出ています。
そして北風に流されて、南目の村々に灰を降らせています。
その普賢岳の噴火もそれほど気にとめなくなった頃です。
今度は溶岩が流れ出しました、夜ともなると、ふもとの杉谷村では明かりがいらないくらいです。

へェー、これが焼山のでき始めなのか。友君はその溶岩の赤い帯に見とれています。

ちょうど花見のシーズンだったので、城下町や近くの村からたくさんの人々が見物にやって来ました。
「今年ん花見は千本木にいこだい。焼山ば見て、一杯やろで」。
三味線やタイコまでも持ち出して、ドンチャン騒ぎです。
お役所では、この焼山見物を制限しなければならないほどでした。

-この後で、眉山が崩れて大津波が襲うのにいい気なもんだ。焼山見物で浮かれている人を見て、友君はそう思いました。

4、繰り返す大地震

その焼山見物が、やっと静まり返ったころの夕方です。
ド、ド、ドーン、、、

たくさんの雷が落ちたようなものすごい音と共に地震が起こり、眉山が頂上近くから崩れました。
その土ぼこりで山は白くおおわれて、見えなくなるくらいです。
この地震でお城の石垣が崩れたり、カネつき堂の土台が壊れました。
城下の家々に大きな被害が出ました。
地割れがあちこちに出来て、お堀の水が上の町の方で流れ出る始末です。
中木場村では水がかれ、飲み水もなくなって大迷惑です。

地震の数も日に日に増えて、夜・昼の区別なく地面がぐらぐらと動きます。
日に40回も地震が起こる時がありました。
さすがにのんびり屋の島原の人も、だんだん不安になってきました。
城下はずれの今村に住むカジ屋の六助もその一人です。

ある朝、いつものように仕事を始めようと、鉄をとかすためにフイゴを動かそうとしたら、いつまでたっても火が燃えません。
フイゴの下に地割れがあって、その割れ目に水が溜まっているのです。
これではいくら動かしても空気はもれて温度は上がらないでしょう。
不思議に思った六助は、近くの寺へ飛んでいきました。

「和尚さん、うちんフイゴん下は井戸のごってなっちょっとです。
なんかん前触れじゃなかとじゃろかい」。
「六助どん、地震が多かけんって、どうかしちょっとではなかか。みんなば惑わすこつは言ったらいかんばい」。
近所の人にも話しましたが、誰も相手にしてくれず、笑い飛ばされるだけです。
しかし六助は、大変な出来事の前触れだと思い、荷物をまとめ、家族を連れてさっさと村を出ていきました。

5、眉山の崩壊と大津波

その夜です。1792(寛政4)年4月1日のことです。
城下や村の人が眠りにつこうとする8時ころ、今までにないほどの大地震が起こりました。

何百という雷がいちどに落ちたようなものすごい音が山と海の両方から鳴り響きました。
同時に眉山の東南部にあった楠平というところが崩れ、何百万トンという大量の岩と土砂がどっと、有明海を襲ったのです。
そのために城下町の大半が埋まり、大津波が起こって沿岸の村々を襲いました。
それで島原だけでなく、向う岸の熊本や天草も大きな被害を受けました。
次の日も血で染めたような真っ赤な太陽が昇り、不安な夜を過ごした人たちは、朝を迎えてだんだんわかって来た被害の大きさに驚きました。
生き残った人が話しています。

城下町図(大変後)

6、お侍・村尾裕助の話

「御用で大手御門の松並木のところを歩いていたら地震です。
地面に押し付けられて立ち上がろうとすると、大きな石に押しつぶされたようで、起き上がられないのです。
そのうちに大波が来て浮き上がり、御門そばの奥平様の下に流れ着きました。
やっとの思いで石垣をよじ登り、助かりました。
気がつくと、着物はズタズタでしたが、命拾いしましたよ」。
お侍さんの村尾さんの話です。

お城は無事でした。天守閣から眺めると驚くばかりです。
大手の広場にはおびただしい木材やワラ、ゴミが押し寄せています。
松並木にはあんな高いところまでと思われるところに死体やゴミが引っかかっています。
うめき声や助けを求める声があたり一面から聞こえます。
目をさらに南の方へ向けると、新町や古町の町屋は見る影もありません。
白壁塗りにカワラぶきの店や大きな屋根の寺が軒を連ねていた街並みが、かき消えているのです。

あんなに賑わっていた町が、大きな石や白っぽい土や砂、大木や木材、板切れ、そして多くのワラやゴミが散らばっているだけで、見る影もありません。
田町下では片町の商人庄平が話しています。

「私ゃ酔っ払っていたとです。津波にさらわれたのも知らんとです。夜中に目が覚めたら田んぼの中に寝とったったない。
そしたらお城で早鐘がなり、チョウチンが星のごてたいそう輝いて、なんごっじゃろかいと思ったとでしたい。
まわりから鳴き声も聞こえるけん、始めんうちはもう死んで、エンマ様ん前に送らるとじゃろて思ったとでしたい」。

7、こがん町に住めるもんか

あたりの田んぼは一面なぎ倒されて、ひとかかえもある大木がゴロゴロしています。
大きな船が横倒しになっているのも見えます。
大手の広場に5,600もの死体を並べて、引き取り手を待っています。
ケガした人たちは田町御門前や三の丸御蔵の草原に集まっています。
そこにはムシロが敷いてあって、たくさんの人が横になって休んでいます。

藩の医者だけでは足りず、村医者も手当に忙しいのです。コウヤクをねるための道具が足りず、植木鉢まで使っています。
藩の台所では炊き出しが始まりました。
家をなくした人にカユを食べさせているのです。子どもを探している吉蔵たちもやっと元気が出たようです。

崩れた眉山の斜面には大きな裂け目ができて、緑の山に6本の白い地はだが不気味に光っています。
そうしている間にも地震は続き、その度にその裂け目からガラガラと岩や土石が崩れ落ちます。
また海の方から大砲のようなすごい音がして、生きた心地がしません。

「こがんアブナカとけ、住めるもんか!」と、逃げ出す人も多く、島原の町は死の町のようです。
お殿様も守山の庄屋さん宅に引っ越しました。

マンガ島原の歴史より

8、豊かな水と緑

「お父さん、あれから昔へ行ったとよ」。
「なんて? 昔へ、、」「ハハ、ハ、、、夢の中でさ」。
友君は夢で見た大地震の様子を話しました。
朝日を浴びながら、お父さんは新聞を読んでいます。
今日は日曜でゆっくりと話が出来そうです。
お父さんは『島原の歴史』という本を持ってきて話します。

「幕府への報告では、あの地震と大津波で島原藩内で死者9528人、ケガ707人、流された家が3347戸と大打撃を受けている。
熊本でも死者4553人、天草で343人も死んでいる。
島原だけでなく、熊本でも被害があったので、それで「島原大変肥後迷惑」といったんだ」。

「へー、島原大変、肥後迷惑ってね。よく言ったもんね」。
お母さんもやって来て、一緒に話を聞いています。
「この時の被害者1万5224人は、我が国の災害の歴史上、一、二を争う大きな犠牲を生んだものだ」。
お父さんの話はまだ続いています。

この島原大変は、その後の島原に大きな影響を与えました。
この大地震でたくさんのわき水が出て、その水は白土湖を造りました。
今でもこの一帯から毎秒1トンの水が出て、私たち島原市民のイノチの水となっています。
また眉山が造り出した美しい緑と島と温泉は、大切なみんなの財産です。
毎年多くの観光客が来て、その美しい自然を十分楽しんで帰ります。

その観光客も、私たち島原に住んでいる人も200年も前ことで忘れているようです。
しかし町の中には当時の供養塔が残されていて、ずっとお祈りを続けている人もいらっしゃいます。
現在、雲仙火山群は警戒火山とされ、また島原半島はよく地震が起こるところです。
それで九州大学の火山観測所が置かれて、火山と地震の観測と研究を行っています。
橘湾の海底深くにマグマだまりがあって、そのマグマの活発な活動によって、普賢岳が噴火したり、地震が起こったりするそうです。

災害は忘れたころにやってくる̶̶と言われます。この穏やかな美しい自然をもつ島原半島で、こんな大地変があった事実を忘れてはならないのです。
友君はお父さんの話を聞いて、そう思いました。(終)

(次回は「メキシコ帰りの太吉どん」)

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「松尾卓次のぶらっとさらく」放送中!

過去の記事はこちら。

松尾先生のおはなし・島原の歴史 第4回 たたかう金作
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第3回 いのちある限り
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第2回おとうの見た合戦
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第1回くれ石原をかけめぐる
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