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松尾先生のおはなし・島原の歴史 第1回くれ石原をかけめぐる

〈はじめに〉

各村や町にはそれぞれ長い人々の歩みがあります。私たちの島原にも数千、数万年の歴史があります。
今から数万年もの昔の人が使っていた石器が三会町から発見されました。こんな大昔から島原の歴史が始まったのです。
このような島原の歴史を「原始時代」から「現代」まで10話にまとめて紹介しましょう。第1話は「くれ石原をかけめぐる」です。

1.ドングリ山

今から何千年も前です。今日も子どもたちの元気な声が森の中からします。
4、5人が集まってドングリの実です。タロはサルのように高い木に登って盛んに枝をゆすっています。どっと、実が落ちます。
下ではハナたち女の子が素早く、腰にしょっているあみカゴに集めます。またたく間にいっぱいになり、家へ帰りました。

木の上からは静かな海が見えます。その向こうにはうすいけむりをはいて山も見えます。
後ろには高い山が続いています。どこまでも見わたせるので、タロは木登りが好きです。

拾ってきた木の実を平らな石の上で、すりつぶしています。そしてカラとゴミを捨て、器にためていきました。
おかあはそれに水と前に作ったドングリの粉を加えてダンゴのように丸めました。そしてイロリの火で焼いて出来上がりです。
いいにおいがします。タロはおなかがグーと鳴りました。

縄文人のくらし

2. 村のくらし

秋の日はすぐ落ちて、夕焼けの中に、高い山が黒ぐろと大きくそびえ立っています。おとうが狩りから帰ってきました。
がなんだか元気がありません。だまってえ物のウサギを目の前に突き出しました。
タロたちの家は地面を足腰の深さに掘り込み、そこへ柱を埋め込んでつくる竪穴式の小屋です。
四隅にはひとかかえもある大きなカシの木が使われて、それをカヤで覆っています。小屋の真ん中にイロリがあり、そこにはいつも火が燃えています。
みんなの食べ物を作り、寒い夜を暖かく過ごせる場所でもあるのです。日当たりのよい台地は、後ろにひかえている高い山から前の静かな海までずーっと続いています。このすそ野こそが重要な生活の場所で、おとうたちがえ物を追い求めてかけめぐり、おかあたちが木の実や食べ物を探し求めるところです。
台地の根っこから水がわき出て小川となり、海まで流れています。この海も村人の魚や貝などを手に入れる重要な場所です。
ここにタロの家などが10軒余り、ひとかたまりになって立っています。中央の広場で、おとうたち村の男が集まって何やらはなしあっています。

3.食べ物不足

日もとっぷり暮れ、吹き降ろす風は寒さを増してきます。
パチパチ、パチパチ、…ほのおがまい上がると、集まっている男の顔が浮き出されます。みんな深刻な顔です。
「こんごろは、え物が少のうなってね~」「ほんてじゃ」話はいつものように、どうしたら食べ物が手に入るかです。
「ありゃ、いつの昔じゃったかいね~」村一番の年よりのおじいがつぶやきました。
何日もえ物がなく、わずかの木の実や草の根だけで過ごさなければならない日が続きました。
「はらばへらして、村ンもんがたいそう死んだったい」それは年寄りのおじいがタロぐらいの年の頃です。
その年の冬は特に寒さがきびしく、ばたばたと死んでいきました。一家ぜんめつのところもあって、元気な男や若者だけが生きのびたのです。
「またそがん年が来っとじゃなかろうかい~」男たちは、どうしたら食べ物がたくさん手に入るかを夜おそくまで話し合いました。
「もうこの辺にはえ物がおらんたい。ずっと遠いところさんいかにゃいかんじゃろ」「じゃあいっちょ、遠かよそまでいって、探してみるか」

4. 新しい食べ物を求めて

数日後、おとうたち村の代表が石のオノやナイフ、弓矢を持って新しい狩場を求めて出発しました。
まず高い山に登って、まわりの様子を見渡しました。お日様の通る道筋にずっと海が続き、その中に島がいくつも浮かんでいます。
反対側にはでっかいすそ野を持つ山と遠浅の海が広がっています。「あん山と海には食べ物がたいそうあるごたるぞ」途中、いくつも村を通りましたが、どこもえ物が少なく、食べ物にも困るありさまです。

矢じり

「やあ、こんにちは…」何日も歩いて、陸地がせばまっているところに着きました。ふり返ると通ってきた高い山が小さく見えます。
あの山の向こうに自分たちの村があるのかと思うと、遠くまで来たもんだと感じました。前方にはめざす山が大きくそびえています。
木の実がたくさんありそうな森と、え物が多くいそうな野原が広がっています。歩いていると、あちこちに白い煙が立ちのぼっています。
バリ、バリ、バリッ、ゴー…火が急に押し寄せてきました。同時に人が走ってきました。
「こっちへ逃げてくだされ」みんなはびっくりして走り出しました。
「無事でよかったです。急に火が走り出して迷惑かけました」「はい、ところでどうして火が出たと?」「畑ば作るために焼いていたので、すみません」おとうたちは畑のこと、その村の様子などを色々と聞きました。

石斧

5.オカボ作り

このへんの人は秋から冬にかけて野原や森を焼きはらって畑を作り、そこへ春になるのを待って種まきして秋にそれを収穫するそうです。
オカボやアワというものを作って、食べているそうです。木の実や狩りだけに頼らず、自分たちで食べ物を作り出しています。
「ヘェーよそん土地とはいえ、いろんなやりかたがあっとたいね」「ほんてね、毎年作れっとなら、食べ物には不自由せんたいね」おとうたちは村の人に頼んでオカボやアワの種を分けてもらい、畑のつくりかたも教えてもらいました。さっそく帰ったら森を焼き、野原に畑を開きました。
その村の人から教えてもらったことをそのままやってみました。次の年の秋にはオカボやアワを初めて作ることができました。
土器の皿で焼いて、みんなは恐るおそる食べてみました。ドングリダンゴや焼きにくといっしょに食べるとおいしいです。
ひとつずつ食べるので面倒ですが、おなかによくたまり、なんだか元気が出てきたようです。
「来年はもっともっと作って、みんなにたくさん食べてもらおう」「冬の分も作って、ツボにたくさんためておこう」「これで食べ物不足の心配もなくなるぞ」

6.おとうの病気

今年の冬は特に寒さがきびしいようです。ふぶきの日が毎日で、家の中にいてもいくらイロリの火を燃やしても暖かくなりません。
タロたちは早く春が来ないかなと、じっと待つだけです。そんな寒い日の朝、あんなに元気だった。
おとうが起き上がれません。昔の古キズがこの寒さのために、高い熱を出したのです。
何年も前の狩りの時です。追いつめた大シカのツノに突きとばされて、ムネを強く打ったときの事故のキズが痛みだしたのでしょう。
じょうぶなカラダの持ち主でしたが、日に日に弱っていき、とうとう春を待たずになくなりました。タロたち家族はいうまでもなく、村びとみんながおとうの死を悲しみました。おとうは村の頭として、みんなをみちびいてきたのです。とくにこの前の食べ物不足のときには、先頭に立って畑作りを始め、オカボやアワを広めました。それで村人はどれだけ助かったでしょうか。

7.墓づくり

ウラナイのおばばがいいました。「お頭は死んだんじゃないぞ。
お頭のタマシイは生きているんじゃ。いつまでも村を見守ってくださるのじゃ」村人はおばばのおつげによって、石を組み立てた墓をつくることになりました。
「お頭のため、村のためだ、りっぱな墓をつくろう」「よいしょ、よいしょ、どっこらしょ」村の下を流れている川に転がっている大石を、全員で墓どころまで引き上げようとしています。なにしろタロのからだより大きな石を引き上げるのですから、大変です。
何日もかかりました。「この大石をまん中にして、回りに石をたくさん並べよう」さらに石探しと運びだしに力を入れました。
「おとう、もう少しだよ。どこにもない大きな墓ばつくるけんね」タロも大人の人にまじって働きました。
たくさん日にちをかけて、石をあちこちから集めました。一番苦労してはこんだ大石を中心にして、回りに村の家の数だけ石を並べました。
またその外がわにも小さな石をたくさんしきつめて、できあがりです。

眉山の形成は意外に新しく5,000年前という。
溶岩円頂丘で、土質は角閃安山岩といい水を吸収しやすく崩れやすいヤマである。いまでも崩壊している。
昨年の熊本地震時はそれが激しく、新たな危険が迫っているようだ。現在、震度4以上の直下型地震が起こると大崩壊すると専門家は予想する。
おお、くわばらくわばら。

8.がんばれタロ

大石は、回りの石をしたがえているかのように、スックと立っています。
ちょうど、おとうが村びとに何かを呼びかけているようです。
おとうのタマシイがこの大石から大空へまい上る土台になっているかのようです。
おとうのタマシイは、おとうが元気なときのようにくれ石原をかけめぐり、いついつまでも村人を見守ってくれることでしょう。
「おとう、見ていてくれ。おれもおとうに負けんごと、がんばるけんね」

縄文土器

島原市の三会地区のくれ石原遺跡は縄文時代晩期の遺跡として有名です。
島原半島は大昔から豊かな土地ですから、縄文時代からの遺跡が比較的多いのです。
ここくれ石原には他に見られない「環状石組遺構」があります。
60cm大の石を直径約2mの輪になるように並べ、中央に大石が立っています。
近くからは合せ口かめ棺も発見され、また平型の石器も出て農耕具として使用されていたよう。
土器の表面には雑穀の跡が見られるし、弥生時代の水田稲作に先立つ畑作耕作の存在が知られています。
これらの記録をもとに古代の島原の人々の生活をお話しにまとめてみました。

(次回は「おとうのみた合戦」)

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「松尾卓次のぶらっとさらく」放送中!

過去の記事はこちら。

松尾先生の島原街道アゲイン 最終回 「深江~安中」
松尾先生の島原街道アゲイン「有家~布津」
松尾先生の島原街道アゲイン「北有馬~西有家」
松尾先生の島原街道アゲイン「口之津~南有馬」
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松尾先生の島原街道アゲイン「国見~瑞穂」
松尾先生の島原街道アゲイン「三会~湯江編」
松尾先生の島原街道アゲイン「島原市街地編」
島原の歴史50選「第6回 激動の時代」
島原の歴史50選「第5回 明治の新しい世」
島原の歴史50選「第4回 しまばらの江戸文化」
島原の歴史50選「第3回 松平時代」
島原の歴史50選「第2回 切支丹時代」
島原の歴史50選「第1回 原始・古代・中世」
「人物・島原の歴史シリーズ 第6回 未来へ続く人々」
「人物・島原の歴史シリーズ 第5回 新しい時代を切り開く」

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