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松尾卓次の島原の歴史 Q&A 其の一

もっぱらしまばらがリニューアルした。
そこで本講もクイズを解きながら「島原の歴史」を探って見ようと思います。

問題はコチラ

Q 1 国見町にある、全国的にも著名な旧石器時代の遺跡は?
Q 2 雲仙温泉はいつ頃から全国に知れ渡っていた?
Q 3 島原の武家屋敷街を築いた人物は?
Q 4 伊能忠敬に測量術を学び、島原藩の正確な地図を作成した人物は?

A1 百花台遺跡 ―百花台遺跡 国見町土黒地区―

旧石器時代から縄文時代に至る遺跡で、国見町百花台地区に広がる。
ここ標高200~240mの地に広範囲に遺跡が分布している。
2万6000年前から長期にわたり生活の場であった。
ナイフ型石器、台形石器、細石器と変化していることが明らかになり、中でも台形石器は「百花台型」と名付けられるほどである。
この石器を数個組み合わせて槍の穂先に使用して、狩の能率を上げていたようである。
縄文時代早期の炉の跡も発掘され、住居跡か石器製作の跡だろうといわれている。
また押型文の土器や石鏃、石匙、石斧などの石器類も大量に出土した。
ここに人々は竪穴式住居を構え、これらの道具を使って狩猟や採集の生活をしていたことだろう。
そして土器を使うことによって生活を向上させていった。

①百花台公園

①百花台公園

 

A2 8世紀初めごろ ―高来の峯(たかくのみね) 小浜町雲仙地区中心―

8世紀初めに編集された『肥前国風土記』には、島原半島の様子が264文字で述べられていて、文字で知り得る一番古い事柄となっている。
まず、高来の名の始まりは、高来津座、つまり高い峯・雲仙岳に居を構える土着神(豪族)がいたことから出来たこと。
温泉が郡の南にあること。
それは高来の峯の方より湧き出て、東へ勢いよく流れていて、この湯に冷水を混ぜると入浴できること。
土歯の池という広さ20町の池があって、長さ600丈の堤防で海と隔てられていること。
そこへ西海の荒海が打ち寄せていることなどなど、雲仙岳や雲仙温泉、千々石などの古い昔の様子が分かり、興味深い。

雲仙温泉(青雲荘の露天風呂)

雲仙温泉(青雲荘の露天風呂)

 

A3 松倉重政 ―武家屋敷街 島原市下の丁―

ここ一帯に徒士屋敷があった。
松倉重政が島原城を築いた時の下級武士団をまとめて住ませるために造った。
上士は城内に取り込んでいる。
城郭に近いほうから下ノ丁、中ノ丁、古丁(ここまでが松倉氏時代分)、下新丁、上新丁、さらに新建と江戸丁、新屋敷などを配置した。
いずれも長さ約400mの屋敷町である。
1865年の調査で690戸があり、それぞれ建坪約25坪で屋敷は約90坪、屋根はすべてわら葺である。
屋敷街を流れる清水は、北方約2kmにある杉谷の水の権現(温泉熊野神社)から引いた人工の水路。
飲用水にもなっていたことから水奉行を置くなどして大切に使用されていた。
車時代になり、他地区は埋め立てられたが、この通りだけは昔のままである。
展示場になっている山本佐五左衛門家は松平藩主の三河時代からの家臣で、代々砲術指南師範、17石2人扶持であった。
藩主から特別に認められて門を構えている。

江東寺の松倉重政像

江東寺の松倉重政像

A4 奥村立助 ―伊能忠敬の島原領内測量 島原半島全体―

全国を測量して日本全図の作成を目指していた伊能忠敬は、1812(文化9)年島原領内を測量した。
この年11月4日、諫早領から愛津村(愛野町)に入り、半月かけて島原半島を一周、諫早領唐比村(森山町)へ去った。
一行10人(従者を入れると19人)は二手に分かれてくまなく測量した。
島原では別当家などへ5泊して、島原大変後に生まれた島原の島々には渡海して実測している。
また大崩壊した眉山の様子、大きく変わった海岸線を詳しく調べている。
これらは島原大変の科学的な解明に現在でも役立っている。
なお、島原藩では郡方役人を同行させて測量術を学ばせた。
なかでも奥村立助はその後測量方となって活躍する。
そして15年後には領内図や各村図を完成させた。
これらの地図は、伊能図同様に現在の地形図とくらべても遜色がない。
このように伊能測量の果たした意味は大きかった。

正確な島原領図

正確な島原領図

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~」放送中!

過去の記事はこちら。

島原半島観世音三十三霊場巡り6「二十九番霊場~三十三番霊場」
島原半島観世音三十三霊場巡り5「霊場巡り第二十四番霊場 ~第三十番霊場」
島原半島観世音三十三霊場巡り4「十九番霊場~二十三番霊場」
島原半島観世音三十三霊場巡り3「十三番霊場~十八番霊場(南島原市有家町山川名~南有馬町浦田名)」
島原半島観世音三十三霊場巡り 2「八番霊場~十二番霊場 (南島原市深江町~有家町原尾名)」
島原半島観世音三十三霊場巡り 1「一番霊場~七番霊場(島原市内)」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~⑥「口之津港ターミナルビル(外観)」

乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~⑤「旧口之津鉄道廃線を行く」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~④「島原駅中心」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~③「多比良~三会」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~②「愛野~神代」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~①「諫早~愛野」
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「人物・島原の歴史シリーズ 第5回 新しい時代を切り開く」

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