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松尾先生のおはなし・島原の歴史 第10回 さびしい同窓会

 

〈はじめに〉みんなどうしているかな

すっかり暖かくなった月夜の晩です。
隣の清春おじさんの家に、次々とお客さんがやってきて、なにやら遅くまで話がはずんでいます。
道子さんの家の本家です。
「おはようございます、おじさん。ゆうべは何の話じゃったと?」
「やあ、道ちゃん、おはよう。それはね、、、」植え付けに出掛けるスイカの苗を準備しながら、おじさんは話します。
道子さんも座り込んで、お手伝いしながら聞き入っています。
今年の秋に、五小が生まれて百年になり、創立百周年の記念式典が計画されています。
そこでおじさんたち卒業生は、その準備で今からどうしていくかを話し合っていたのです。
おじさんは1936(昭和11)年の卒業です。
その時の名簿と写真を見ながら、思い出話がはずんだそうです。
「昔の学校はどがんじゃったと?そん話しば聞かせて」「道ちゃんは、昔の話がおもしろかとね」おじさんは、話し続けました。

まんが島原の歴史より

まんが島原の歴史より

1、 昔の小学校

「おじさんたちが入学する前までは、中木場と安徳にそれぞれ学校があって、そいが合併して一つになったとたい。
そいで今の五小、安中小学校が生まれたとたい」昔を懐かしむように、おじさんは目を細めています。
「運動場も通学路も、村ん人たちの労力奉仕で造り出したとぞ。
そん道ば野ウサギば追っかけたり、山バトに石ば投げたりして学校さん通ったもんたい」「ヘェー、ウサギや山バトがおったと?」タバコの白い煙がゆっくり上がっています。
「あんとき一緒だった徹クンも死んでしもて」おじさんたち65人の卒業生は、もう半分近くが亡くなっているそうです。
50年もたつと死ぬ人も多いでしょうが、戦争の犠牲になった人が15人もいます。
「さあ、苗の準備も終わったよ、道ちゃん。
こん話はまた後でね」そう言っておじさんは、テーラーに苗を積み込んで畑へ出て行きました。
梅林の下を通る時、色付いた梅の香りがプーンとにおってきました。
そしたら戦争に向かった頃を思い出しました。

まんが島原の歴史より

まんが島原の歴史より

2、 戦争の時代

おじさんたちの時代は戦争の時代でした。
小学校入学の翌年には満州事変が起きました。
今の中国の東北区・満州を日本軍が占領し、半年後には満州国をつくらせて植民地にしてしまいました。
日本は軍人が支配する国となり、戦争への道を突き進むようになりました。
そんな時代だったので、勉強にも戦争のこと、軍隊のことがたくさん出てきました。
「ススメススメ、ヘイタイススメ」と、1年生の国語の教科書にはおもちゃの日本兵が鉄砲をかついで行進しているものがあったり、勇ましい軍歌を習いました。
「キグチコヘイハイサマシクイクサニデマシタ。テキノタマニアタリマシタガ、シンデモラッパヲクチカラハナシマセンデシタ」修身の時間には、日露戦争の時に木口小平と言うラッパ手兵の勇敢な話などを学び、日本の軍隊の勇ましさと戦争の素晴らしさを、繰り返して教わりました。
「お国のために、イノチを捨てて戦うのだ!!」先生方は熱心に話されました。
「ようし、早く大きくなって、おれも兵隊になるんだ。
お国のために、働くぞ」子どもたちは、誰もがそう思うようになりました。
おじさんが14歳の時に中国と全面戦争になり、その戦争は終わることなくアメリカ、イギリスなどを相手にする太平洋戦争に広がりました。
いつ終わるともしれない、戦争の時代が続いてゆくのです

3、 太平洋戦争、開戦

<大本営発表。帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり>
艦マーチの勇ましい音楽にのって、太平洋戦争の開戦が放送されました。
1941(昭和16)年12月8日です。
ハワイ攻撃、フィリピン、シンガポール占領と、戦争が始まったばかりに、もうアメリカの軍艦を沈め、イギリス兵をけ散らしたので、「勝った、勝った。
また勝った」「やっぱり日本はすごい。日本は神の国なんだから」「今に見ておれ!アメリカ、イギリスなんか打ち破ってしまうぞ」おじさんも大喜びです。
18歳の時です。
もう立派な若者に育っていました。
戦争が広がってゆくと、たくさんの兵隊が必要になります。
各地の村や町から、若者たちが戦争に続々と出掛けました。
このころ20歳になった男子は、徴兵検査と言って兵隊になる為の身体検査を受けなくてはなりません。
身体の良いものは甲種合格と言ってすぐ軍隊に入るのです。
体の弱い人や病気の人は入隊しなくてもよかったのですが、兵隊が足りなくなると、そうも言っておれません。
日本中の男子は20歳以上になると、みんな兵隊になったのです。

4、 バンザイ、バンザーイ!

おじさんも20歳になったら、すぐ小浜で徴兵検査を受けました。
そして数カ月もたたないうちに、軍隊への呼び出し命令する召集令状が来ました。
みんなはそれを<赤紙>と言っていました。
この赤紙が来ると、決められた時に、決められた部隊に入隊しなければなりません。
「兵隊になるのは嫌だ」と、逃げ出すと厳しい罰が加えられました。
おじさんは、大村にある陸軍歩兵連隊に召集されました。
同級生の何人にも赤紙が来て、一緒に出発することになりました。
「清春も男たい。お国のために役立つようになったったい。
めでたいこっだ」親せきの人や友人が家に駆けつけ、みんなでお祝いをしました。
その夜は遅くまで会食し、おじさんの入隊を励ましました。
出発の朝が来ました。
早起きしたおじさんは近くの神社にお参りに行きました。
朝もやの中に八幡神社は静まり返っています。
その静けさを破るかのように、<パーン、パーン>と大きな柏手を打って、武運長久を祈りました。
梅の匂いがかすかにします。
区長さんや議員さん、在郷軍人会や愛国婦人会の人たち、それに近所の人大勢が安中駅まで見送りです。
利八じいさんはいっちょうらの紋付羽織を着ています。
おばさんたちは揃いの白いエプロンを着たり、みんな正装しています。
手に手に日の丸の小旗を持って、歌に合わせて振って駅まで行進です。
祝・出征川本清春君武運長久―――などと書いたのぼりを先頭に“天にかわりて不義を討つ忠勇無双のわが兵は歓呼の声に送られて今ぞ出で立つ父母の国勝たずは生きて帰らじと誓う心の勇ましさ”ラッパとタイコの伴奏で勇ましい軍歌を、次々に歌いながら見送りの行列が進みます

5、 梅の花びら

駅にはこの日に召集された若者が10人ほど集まっていました。
中にはかなり年上の人もいます。
そばには赤ちゃんをおんぶした嫁さんがついています。
赤ちゃんは、なにも知らずニコニコしています。
梅園の中を黒い煙をはきながら、4両の客車を引いた島鉄列車がやってきました。
汽車には南目の町や村から召集された若者がたくさん乗っています。
「では元気で行ってまいります。
天皇陛下のため、お国のために立派にご奉公してまいります」挨拶するおじさんの顔はこわばっています。
今から戦争に出掛ける緊張のためか、もう生きて二度と安中の地を踏むこともないという別れのためでしょうか。
<ポーッ>運転士が勢いよく汽笛を鳴らしました。
と同時に、見送りの人から一斉に声が上がりました。
「谷本清春君バンザイ!、バンザーイ!」みんなは大きな声で叫び、日の丸の小旗をちぎれるほどに振りました。
おじさんは、車窓からいつまでも去りゆく安中の村を見ていました。
気が付くと、服に白い花びらがあります。
「アッ、梅の花だ」記念に持っていこう。
ポケットのノートに挟みました

6、英霊の帰還

しばらく経った日です。
あんなに勇ましく出かけた人が、戦死して遺骨になって帰ってきました。
こんな人たちを<英霊>と言いました。
この英霊を迎える為に、家族や親せきの人、集落の人たちが駅に集まりました。
男の人は服の腕に黒い布を巻き、女の人はエプロンに黒布をつけています。
みんな黙って下を向いています。
汽車が着きました。
白い布に包まれた四角な箱を首から下げ、両手にしっかりと持った黒い着物姿の人が降りてきました。
英霊の奥さんでしょうか、重い足取りです。
出迎えた人たちは深々と頭を下げました。
誰でも悲しみをかみしめているようです。
ついこの前に元気で出発した時の様子を思い出しているのでしょう。
声一つありません。
激しい戦いだったのでしょう。
その中で家族のこと、安中のことなどを思いながら死んでいったことでしょう。
その人が今こうして小さな箱の中で眠っているのです。
みんなは胸がジーンとなって、涙がこみ上げてきます。
家族の悲しみはどんなものだったことでしょうか。
しかし、どんなに悲しくとも、泣かないように我慢していました。
泣くと勇気がないものだと思われるからです。
天皇のため、国のために死んだのだから、むしろ名誉なことだと言われていました。
こんな悲劇が、この安中だけで220回もありました。
当時の安中は島原市に合併したばかりで、800戸、4630人が暮らしていました。
3~4軒に1人の戦死者が出て、安中全体では20人に1人の割合の犠牲です。
大切な農家の跡取り息子を亡くしたり、一家の大黒柱の父を失ったところがたくさんあります。
3人もの子どもを亡くした家もありました。
「清春が無事に戻ってくるように、なにとぞ神様お願いいたします」テルおばあちゃんは、毎朝暗い内から八幡神社へ行き、お百度参りをしていました。

7、激しい戦闘

おじさんたちは大村の部隊で戦闘訓練をしたら直ちにビルマへ渡りました。
日本軍はビルマからインドまで占領しようと計画していたのです。
そのビルマにはイギリス軍と中国軍の大部隊が待ち構えていて、激しい戦闘となりました。
敵は日本軍の十倍もの兵力で攻撃を加えます。
それで日本軍は次第に押し破られました。
飛行機で補給路と退却路が破壊され、爆撃や大砲の攻撃で大打撃を受け、バタバタと兵隊が倒されていきます。
進むことも退くこともできず、戦死者が増える一方です。
昼間は発見されて攻撃を受けるので行動できず、ジャングルの中にじっとひそんでいます。
何しろ集まっているところが見つかると、何百という砲弾が飛んできます。
ジャングルは吹き飛び、山はハゲ山になる始末です。
生き延びるのが不思議なくらいでした。
雨季になりました。
ますます激しい戦いが続きます。
傷ついた人、マラリアでの高熱で倒れた人、もう歩く気力もない兵隊が雨に打たれて、道端にゴロゴロしています。
「タ・ニ・モ・ト・ク・ン・・・」チィークの大木の根っこを枕にした兵隊が、ささやくように声を掛けました。
近づいてよく見ると、同級生なのです。
「鐘ヶ江君!元気ば出せょ」水を飲ませ、持っていたわずかな食料ですが、一緒に食べました。
「さぁ、出発するぞ。俺につかまれ!」「・・・・・・」「梅の花が咲いている安中へ、一緒に帰るんだ!」しかし、立ち上がることができません。
おじさんはノートから梅の花ビラを差し出しました。
鐘ヶ江さんはだまって見つめるだけです。
一歩、二歩と戦場を退いて、生き残る戦いが続きますが、1945(昭和20)年8月15日に敗れ去りました。
このビルマの戦闘だけで、安中出身兵が60人も戦死しています。
一番犠牲者が出たところです。
おじさんが生きて帰れたのは奇跡だったかしれません。
今でも夢の中で、雨に打たれて道端にうずくまって死を待つ多くの仲間の姿を見ることがあります。
その度に戦争の無念さを思い知り、もう二度とこんな悲劇を繰り返してはならないと思います。

8、百周年

秋晴れの日です。
どこからか菊の匂いがします。
道子さんたち第五小学校の創立百周年の記念式典が開かれています。
記念碑の除幕式も行われました。
式場には清春おじさんも参列しています。
道子さんは、今さっき見た記念碑を思い浮かべ、小さくつぶやきました。
“やまざとのいのちの流れとこしえに”この安中にも百年の間に、いろんな出来事があったんだなと思いました。
おじさんのように、いやというほど戦争の苦労をなめた人。
貧しかったために働かねばならず、学校にも行けなかった人といろいろです。
その夜、同窓会がありました。
さびしい会だったそうです。
たくさんの級友が20歳そこそこで亡くなって、今日の百周年式典にも参加できないからです。
「亡くなった級友の為に、黙とう!」ビルマの戦場で亡くなった鐘ヶ江さんのことを思い出したおじさんの目からは、とめどなく涙が流れ出ました。(終)

(次回は、新連載・島鉄列車に乗って。)

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「松尾卓次のぶらっとさらく」放送中!

過去の記事はこちら。

松尾先生のおはなし・島原の歴史 第9回 一号機関車発車
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第8回 カナダ移民第一号・永野万蔵
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第7回 島原城のつぶやき
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第6回 メキシコ帰りの太吉どん
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第5回 島原大変肥後迷惑
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第4回 たたかう金作
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第3回 いのちある限り
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第2回おとうの見た合戦
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第1回くれ石原をかけめぐる
松尾先生の島原街道アゲイン 最終回 「深江~安中」
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松尾先生の島原街道アゲイン「島原市街地編」
島原の歴史50選「第6回 激動の時代」
島原の歴史50選「第5回 明治の新しい世」
島原の歴史50選「第4回 しまばらの江戸文化」
島原の歴史50選「第3回 松平時代」
島原の歴史50選「第2回 切支丹時代」
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「人物・島原の歴史シリーズ 第6回 未来へ続く人々」
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