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乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~⑥「口之津港ターミナルビル(外観)」

〈初めに〉

宮崎徳市さんのこと
温泉鉄道の工事を担当した人物が宮崎徳市である。
1891(明治24)年に杉谷村で生まれ、島原鉄道創立と同時に入社し、3年間技手として鉄道敷設に努めた。
弱冠23歳時、南薩鉄道技師長心得となって実測に従事。
その後独立して宮崎、天草、外地、佐世保など各地で鉄道工事を請負い大活躍。
1922(大正11)年3月には温泉鉄道敷設を請負い、翌年完成させる。
当時の新聞記事に、「年齢ようやく33歳にして、幾多の工事を竣工したる未来において一層の光彩をはなつに至るべきや、計り知るべからず。
氏の前途や実に多幸なりというべきかな。
」事実その後、口之津鉄道工事で宮崎鼻隧道を完成させるなど、土木建築業で名をなす。

1. 小浜軽便鉄道株式会社目論見書

島原鉄道の創立が発表されると同時に、口之津に延長すべきか、小浜への延長を先にすべきか、当時から相当論議があった。
しかし千々石小浜間は非常な難工事が予想される上に、当時の産業界は不況に沈滞していたため、愛野小浜間は予定線として後年へ譲ることになった。
1908(明治41)年頃、さらに愛野小浜間の敷設が叫ばれるが、資金調達が意の如くならず中止に至った。
1918(大正7)年3月「小浜軽便鉄道株式会社目論見書」が発表される。
それによると…

  • 小浜村は効験著大なる温泉があり、かつ風光明媚な千々石湾に臨み、海水浴の好適地なり。
    また温泉岳は眺望雄大にしてツツジ紅葉の名所であり、これら浴遊客はすこぶる多い。
    それで本鉄道開通の暁には益々増加するは確信できる。
  • 資本金35万円とし、7千株に分け1株50円で募集する。
  • 線路の起点は島原鉄道愛野駅、終点は小浜村大字馬場田とする。
  • 軌間は2フィート6インチの単線軽便蒸汽車とする。
  • 工事概算:建設費35万円(1マイルにつき2万9629円)、用地費3万円、土工費6.6万円、橋梁費6.9万円、隧道費4.2万円、軌道費14.2万円、車両費2.6万円*収支概算書:収入4万1863円、支出1万7155円、差し引き2万4708円。
    純益金は資本金に対して年利率7分にあたる。
    (旅客1年に9万3000人とし、その運賃平均1マイルに3銭5厘、沿線各駅利用者1年に2万3000人、年1マイル3銭として計算。
    貨物は1年に5000トン、1トン1マイル4銭5厘とする)

2. 温泉鉄道開通

1908(明治41)年頃、愛野小浜軽便鉄道の予測の必要があって、植木元太郎は島原鉄道木村技師を伴い測量する。
その結果、延長14.08マイル(22.6㎞)、予算35万円を打ち出した。
しかし地方経済界では巨額すぎて費用の株式募集は不可能であった。
1917(大正6)年5月14日、本多親宗ら10人が委員となって愛浜電気鉄道を企画し、予定線の実現へ着手することになった。
これらを元に免許申請の運びとなるが、翌1919(大正8)年には会社解散となる。
しかし、「この機会を逸するとは遺憾なりと」と城台二三郎、永田長作は愛野千々石間に鉄道敷設を計画して植木へ訴える。
植木はその直後、小浜側からも援助を乞われる。
両村長や有志は十数回会合を重ねて、同年7月6日、温泉鉄道発起人会を開催する。
永田、城台、植木ら6人は創立委員となって8月5日鉄道免許を申請し、12月2日下付された。
1920(大正9)年7月6日、温泉軽便鉄道創立総会が島原町の郡役所会議室で開かれる。
取締役社長に植木元太郎、取締役に永田、城台ら8人、監査役3人など役員を決める。
10月14日には工事施行認可申請、翌1921(大正10)年2月21日認可となる。
そして8月20日起工式を迎える。
1922(大正11)年4月1日工事入札があり、島原町の宮崎組が工費8万6304円で落札し、工事に取りかかる。
工期1年1ヶ月、使用人夫合計9万3400人。
難工事は山王神社前と唐比の切り取り、千々石海岸の防波堤の築造であった。
橋梁は唐比橋など10か所、最急配は50分の1、最小曲線は半径15チェーン(300m)。
1923(大正12)年、全線5.6マイル(9㎞)の温泉鉄道が開通した。
5月27日に千々石駅前で5000人を集めて盛大な開通式が挙行された。
当時の時刻表は
〈1番列車〉 千々石発 5:44→愛野着6:16、愛野発7:36→千々石着8:07〈終列車・7番列車〉 千々石発8:00→愛野着8:32、愛野発8:56→千々石着9:28
2両の客貨車を引いた機関車が走っていた。
運賃は愛野千々石間28銭。
駅とその区間は千々石(4.4㎞)浜(1.1㎞)水晶観音(2.1㎞)愛津(1.7㎞)愛野の9.3㎞。
千々石・小浜間は同一会社の元で延長経営する協定であったが、意外にもそれぞれ独立した会社の経営となった。

愛津駅跡

3. 小浜鉄道敷設へ

1917(大正6)年1月、小浜、千々石、愛野3村有志が集まり、愛浜電気鉄道が企画され、さらに蒸気軽便鉄道に変更して免許が申請された。
しかし意見が分かれ、1919年に一応解散した。
その後は、愛野千々石間、千々石小浜間の両区に分けて計画が進められた。
1919(大正8)年7月6日、愛野千々石間に鉄道を敷設する温泉鉄道発起人会が開かれ、その手続きを進めた。
1920年2月25日には千々石小浜間にもと発起人会を開き、本多親宗ら165人の手で鉄道敷設免許の申請が準備され、12月2日認可された。
ここに小浜鉄道が創立した。
その概要は軌道幅3フィート6インチで千々石村から小浜へいたる延長5.5マイル(8.8㎞)、建設費60万円。
1921(大正10)年8月25日に免許を得て、11月28日、工事施工認可申請。
1922(大正11)年3月実測も終わり約100間(200m)短縮し、隧道も2ヶ所掘削計画と、難工事が予想されるが61万円の予算で完成を目指すことになった。

水晶観音駅跡

4. 両社合併問題、不成功

千々石、小浜両方が別個に鉄道事業推進では効率的ではないと、赤星県知事が1922(大正11)年6月両社を合併させようと肝入りした。
6月23日、両社の仮覚書交換がなされ、知事、植木温鉄社長、本多浜鉄社長が署名した。

  • 両社の建設費予算は同一技師に調査させる。その選定は協議する。
  • 両社の収支予算は現行に準じて調査する。
  • 両社は相互に会社内要を調査してその成立に可否なきを確認することを要す。
  • 両会計重役はその社の資本金3分の2以上払込を確保する責に任ず。
  • 合併における両者の対比は1項、2項により調査して金額を基礎に算出したる利益の割合による。
  • 現行の対比決定したときは両社は1ヶ月内に合併の手続きを履行することを要す。

1923(大正12)年3月15日、合併交渉は不成立。
「工事未了の今日、完成を見てから合併しても遅からず云々、温鉄1対浜鉄3の割合になる」などと意見対立、浜鉄にとって不利と思われたのか?その後1926(大正15)年2月22日、両鉄合併論が再燃、小野郡長が当事者を呼んで協議したがこれまた不調だった。

水晶観音駅跡

5. 難工事連続の小浜鉄道

1924(大正13)年4月20日、千々石小浜間の敷設工事に着手、大分土木会社が請け負い、工事が始まる。
1926(昭和1)年11月線路竣工、翌年1月には軌条も敷設、総工費80万余という難工事も終わった。
1927(昭和2)年3月12日開通。
午前7時33分肥前小浜発1番列車から運転を開始した。
千々石(1.2㎞)上千々石(2.4㎞)木津の浜(2.4㎞)富津(2.0㎞)肥前小浜の各駅があり、運賃は28銭。
小浜温泉へは直通していなかったので連絡用自動車を運転、運賃20銭。
合計48銭であった。
今後、資金面で好機が得られたら第2期工事として小浜温泉まで線路建設の予定があったが、それもかなわず、鉄道の時代が去った。
全長5マイル(8㎞)の区間だが、この間に高峻な峠があり、空前の難工事となり、1924(大正13)年4月中旬以来3年の日数を費やし、一方ならぬ苦心を重ねてようやく完成。
使用ダイナマイト5.8万貫、雷管47万貫、鉱山火薬2500貫、導火線50万尺。
土工人夫10万人、鉱夫7.5万人、石工鍛冶1.7万人、その他人夫0.5万人、合計19万5752人。

水晶観音駅跡

6. 小浜鉄道の開通

線路は海に臨んだ山の中腹を削って敷設。
富津へ抜ける堀割りは谷を埋め、山を拓いてかろうじて開通したもの。
谷を埋めた盛り土は最高70尺(約21m)のところもある。
この鉄道沿線は風光絶佳、一大パノラマを繰り広げる観がある。
峻岳の外側を屈曲して上がる列車はあたかも温泉登山の遊覧列車の観がある。
眺望の雄大壮絶なることは他にその比を見出すことは出来まい。
当時の経営者は、社長・本多親宗、取締役・田中戸一郎、馬場永三郎、本多寿親、監査役・野田龍三郎、本田規矩雄。
小浜鉄道も温泉鉄道同様に経営は困難を極め、1933(昭和8)年、両社は合併して雲仙鉄道となる。
同時に島原鉄道が経営に参加して、てこ入れするが経営は安定しない。
とうとう1938(昭和13)年8月11日に廃線となり、愛野駅から自動車輸送となる。
今、この線路跡は県道に変わり「汽車道」と呼ばれている。
そこを通るたびに、良くぞこんなところに鉄道を敷設したものだと感心する。
しかし同時に、人々の鉄道にかけた思いの深さを痛感する。

7. 廃線路を行く

沿線は、丘陵起伏の地区である島原・口之津鉄道と違い、眼界の変化は大きく風光絶景。
愛野駅を分かれ、有明川堤防沿いに走り、愛野幸町に入り、ここに愛津駅表示板がある。
これら雲仙鉄道駅表示板は平成6年に地域の人たちがその歴史をしのんで建立したもの。
さらに山王神社西側を半周して中野の丘陵を越え、森山村唐比へ入る。
今も農道となって線路跡が残る。
水晶観音社下(3.8㎞地点)を出ると眼界はたちまち開けて、橘湾の青波一望の中に収められる。
眼界の変化は大きく風光絶景、回遊列車のようである。
4.2㎞地点で海岸へ出る。
千々石断崖下を進み、千々石村塩屋に入り、防風林の中を通る。
この松林は400年前松倉重政が造営したところ。
8.3㎞で県道を横切り、千々石川を渡り、人家の東部を迂回して千々石小学校下で再び県道を横切る。
この地点が千々石駅で、1923年5月5日に5000人を集めて盛大な開通式が行われた。
小浜鉄道へ入り、権現神社を経て10.6㎞地点より地勢険阻なところを最大30分の1の勾配で上がり、猿葉山の西岸の戸崎鼻11.5㎞地点で延長約160メートルの隧道(トンネル)を通り、左折して開堀した懸崖を経て11.8㎞で小浜村木津。
ここは小さな漁村で新鮮な魚料理がご馳走。
当時のプラットホーム跡が残る。
延々山腹に沿い、富津小学校上を経て県道下を行き、16.3㎞で古賀川を渡り、北野に着く17.3㎞。
ここが暫定、小浜終着駅。
計画ではここから石合の海岸沿いに17.9㎞で県道を横切り、小浜本村に入り、剣柄神社付近に小浜温泉駅を置くようになっていたが、石合鼻の崖面の工事ではさらに人手と資金不足が予想され、後日に延ばす。

終点肥前小浜駅跡

延長18.6㎞の路線であったが、実現できなかった。

7. 幻の温泉ケーブルカー

大正末期に植木元太郎は、温泉(雲仙)・小浜間を結ぶケーブルカー敷設を計画していた。
この時期植木氏は島原鉄道、口之津鉄道、温泉鉄道の3路線を開通させて、この小浜鉄道とつなぎ、島原半島鉄道網の一環として計画したもの。
この頃、長崎・上海航路が就航し、外国人観光客が増加しつつあった。
そこで温泉岳ケーブルカーを立案する。
「雲仙綱索鉄道目論見書(25ページ、大図面付き)」を発表、長崎県に提出している。
同計画書によれば、小浜駅(小浜鉄道は未完)より絹笠山中腹の麓停留所まで延長約4.8㎞に電鉄を敷設し、同停留所から絹笠停留所(標高約700m)を経て温泉(雲仙)まで延長1.1㎞のケーブルカーを敷く。
工事費は60万円(電鉄敷設費31万円、ケーブルカー敷設費29万円)と試算。
年間利用者は初年度6万~5年後12万人と予想する。
運賃50銭で、以後5万円の純益を出すと計算している。
しかし小浜鉄道は難工事の連続で、資金不足。
おまけに鉄道は温泉街へ直接つながらず一歩手前の北野止まり。
その後はバス輸送という不便さが付きまとう。
やがて経営難が襲い、目論見が大きく外れて、温泉ケーブルカーも幻となる。(終)

( 次回は「島原半島三十三観音霊場巡り」?)

木津ケ浜を走る汽車

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~」放送中!

過去の記事はこちら。

乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~⑤「旧口之津鉄道廃線を行く」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~④「島原駅中心」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~③「多比良~三会」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~②「愛野~神代」

乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~①「諫早~愛野」
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第10回 さびしい同窓会
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第9回 一号機関車発車
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第8回 カナダ移民第一号・永野万蔵
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第7回 島原城のつぶやき
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第6回 メキシコ帰りの太吉どん
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第5回 島原大変肥後迷惑
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第4回 たたかう金作
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第3回 いのちある限り
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第2回おとうの見た合戦
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松尾先生の島原街道アゲイン 最終回 「深江~安中」
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松尾先生の島原街道アゲイン「北有馬~西有家」
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松尾先生の島原街道アゲイン「島原市街地編」
島原の歴史50選「第6回 激動の時代」
島原の歴史50選「第5回 明治の新しい世」
島原の歴史50選「第4回 しまばらの江戸文化」
島原の歴史50選「第3回 松平時代」
島原の歴史50選「第2回 切支丹時代」
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「人物・島原の歴史シリーズ 第6回 未来へ続く人々」
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