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乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~②「愛野~神代」

〈初めに〉

各工区着工~開通(年月日)
第1工区諫早駅工事着工 (1909年10月 1日) ~愛野駅開通 (1911年6月18日)
第2工区愛野駅     (1911年10月24日) ~神代駅 (1912年9月30日)
第3工区神代駅     (1912年 8月15日) ~大三東駅 (1913年5月10日)
第4工区大三東駅    (1912年12月25日) ~島原湊駅 (1913年9月24日)

1.愛野駅

駅舎はすっかりモダンとなって、八角トンガリ屋根に十字架までついている。
「愛しの吾妻へ」と、愛野~吾妻間の記念切符も売り出されていて、好評とか。
駅前広場には「ふれあいの像」が立つ。
台石には「愛が生まれる愛の育む愛の町」と、愛の詩が刻まれている。
島原鉄道はまずここまで開通して、初めて汽車が走ったのは、1911(明治44)年のこと。
線路は順調に島原を目指して延びる。
着工から9カ月で、一番列車を走らせることができた。
一日に50メートルの割でレールは延びる。
<ピィーッ!>6月20日、一号機関車は力強く有明海から昇る朝日に向かって進行する。
計画から5年、いろんな問題を突きぬけて3両の客車を引いて駆け抜ける。
<カッタン、コットン、カッタン、コットン・・・>乗車客はあらためて汽車の素晴らしさを体感し、文明開化を実感する。
当時の乗車賃は諫早・愛野間16銭、乗車時間45分。
この機関車は、あの「汽笛一声新橋を、、、」と歌われて東京・横浜間を始めて走った日本最初の機関車で、島原でも一号機関車となる。
それから1930(昭和5)年まで大活躍する。
今、国の重要文化財として、鉄道博物館に保存・展示されている。
その車体には栄光のナンバー<1>と<惜別感無量昭和5年6月島鉄社長植木元太郎識>のモニュメントが輝いている。
愛野は旧藩時代は国境の地で、愛津土居口・原口間15丁(1.3キロ)に生垣と竹矢来で国境線が設けられ、番人が厳しく取り締まっていた。
近くの会津庄屋元は城を思わせるような高い石垣で築かれ、島原藩の本陣を兼ねていた。
そこを通過した歴史に名を留める人物も多い。ここ愛野駅から小浜方面に線路が延びていた。温泉鉄道で、小浜温泉や雲仙保養地へ集客を目指していたが、1938(昭和13)年に廃線となる。
この路線のことは、最終回で取り上げる予定。

旧駅名表とほヽえみの像(愛野町)

旧駅名表とほヽえみの像(愛野町)

2.山田・吾妻駅

駅舎はすっかりモダンとなって、八角トンガリ屋根に十字架までついている。
「愛しの吾妻へ」と、愛野~吾妻間の記念切符も売り出されていて、好評とか。
駅前広場には「ふれあいの像」が立つ。
台石には「愛が生まれる愛の育む愛の町」と、愛の詩が刻まれている。
島原鉄道はまずここまで開通して、初めて汽車が走ったのは、1911(明治44)年のこと。
線路は順調に島原を目指して延びる。
着工から9カ月で、一番列車を走らせることができた。
一日に50メートルの割でレールは延びる。
<ピィーッ!>
6月20日、一号機関車は力強く有明海から昇る朝日に向かって進行する。
計画から5年、いろんな問題を突きぬけて3両の客車を引いて駆け抜ける。
<カッタン、コットン、カッタン、コットン・・・>
乗車客はあらためて汽車の素晴らしさを体感し、文明開化を実感する。
当時の乗車賃は諫早・愛野間16銭、乗車時間45分。
この機関車は、あの「汽笛一声新橋を、、、」と歌われて東京・横浜間を始めて走った日本最初の機関車で、島原でも一号機関車となる。
それから1930(昭和5)年まで大活躍する。
今、国の重要文化財として、鉄道博物館に保存・展示されている。
その車体には栄光のナンバー<1>と<惜別感無量昭和5年6月島鉄社長植木元太郎識>のモニュメントが輝いている。
愛野は旧藩時代は国境の地で、愛津土居口・原口間15丁(1.3キロ)に生垣と竹矢来で国境線が設けられ、番人が厳しく取り締まっていた。
近くの会津庄屋元は城を思わせるような高い石垣で築かれ、島原藩の本陣を兼ねていた。
そこを通過した歴史に名を留める人物も多い。ここ愛野駅から小浜方面に線路が延びていた。温泉鉄道で、小浜温泉や雲仙保養地へ集客を目指していたが、1938(昭和13)年に廃線となる。
この路線のことは、最終回で取り上げる予定。
2キロ近くの中堤防を設けて東西に2分割して再開した。
その東工区に取り掛かり、1916(大正5)年に一応完了した。
しかし水門が再三破壊されて、その補修で死者も出る始末。
個人の負担では継続できなくなり、他へ出資者を求めてやっと1928(昭和3)年に完成をみる。
西工区は長年荒廃したままだったが、佐賀の弥富寛一の手により工事再開。
1930(昭和5)年に完成した。
これで半世紀にわたる大事業が完成した。
大干拓地の東端には大崎連翁の大きな頌徳碑が西端には弥富寛一氏の記念碑が建てられている。
さらに近年、諫早湾干拓事業が進み、農地670ヘクタール、調整池2600ヘクタールの大規模干拓。
何せ山田干拓の13倍もの面積を占める大規模で、有明海の環境問題も引き起こす。
養殖ノリが大凶作となり、タイラギなど貝類が死滅した。
農業者と漁業者の対立が始まり、水門を開けよ、開けるなと訴訟合戦となり、裁判所でも相反する判決が出て、最高裁でも決めかねている状態。
山田漁港の跡地には「吾妻漁民の碑」が建てられ、台石には88人漁業組合人の名が刻まれている。
この碑は何を物語る?港と海には暑い太陽だけが照りつける。

吾妻漁民之碑(旧山田村)

吾妻漁民之碑(旧山田村)

3.守山大塚古墳

広い平野の中を列車は走る。
中世の記録に「山田庄240丁」とあり、1千年も以前から農業を中心に村が潤っていたことが分かる。
条里制の跡が見られ、県下第一の前方後円墳が残る。
後円部直径45メートル、墳丘高さ7メートル、前方部長さ25メートルで、古墳時代最古級のもの。
この一帯に相当有力な豪族が支配していたことが推察され、北部九州連合政権の一員として島原半島を支配していたのであろう。
駅前には大きな農業倉庫が並び、島原鉄道から送り出される米を貯えていた。
その一角に藤田繁治翁之碑が立つ。
氏は養蚕試験場の技師として働き、養蚕王国・島原半島を育てた人である。
そのほか藤田好衛(牛馬産業組合)、岩本金市(林業振興)、松本健吉郎(漁業振興)など記念碑や頌徳碑が多い。
産業の盛んな地であることを今に伝えている。

4. 古部駅

駅は海を埋め立てて造る。
この一帯は雲仙岳の舌状台地が海まで延びているから、平地が少ない。
その地に島原街道が通り、そこを広げて県道を造り、また線路を敷いて駅まで開こうとの計画で、海を埋め立てるしかなかったろう。
駅と線路は堤防に守られてできあがった。
それで釣りができる駅として喜ばれたという。
しかし職員と線路工夫泣かせの駅で、北の暴風が吹くと、潮風が打ち寄せて路床が流されたり、ポイントが故障したりと大変。
開業間もなく堤防が破られ不通の時もでる。
駅近くの熊野神社前では、旧島原街道・旧県道・島原鉄道線・国道251線が並走する地点で、島原地方の交通発展史が一見できる。
古部村は郡内一の小村(181戸・942人)で、隣村の伊福村と組合村をつくる。
大正15年7月に両村は合併して大正村となる。
<頓宮祭>
その伊福地区の氏神様・八幡神社では毎年10月中旬に五穀豊穣を祈願する奇祭が行われる。
それが頓宮祭だ。
何と村人が選ばれて神様になるという他には見られないお祭りだ。
その日が来ると、宮司が祈祷後御祓いをして御幣で人名が書かれた紙を突き刺す。
各集落から2名ずつ、6名が晴れて神さまとなるのだ。
その6人衆は3日間は神となり、毎朝禊をし、氏子に食事を賄ってもらう。
地区を回って陽気な神としてふるまう。
夜は神社でお籠して祈願。
新嘗祭の一種であろう。
それにしても古い形の祭りが残っているものだな。
境内には元禄初期の鳥居もあるので、確実に300年以上も風習を守っている。
それに反して変わってしまったのが、有明海の様子。
豊かな漁場であったが、船1艘も浮かんでない。
当然のことながら海岸で貝掘り、魚釣りする人もいない。
車窓から風景を眺める楽しみもない。
島原鉄道の旅の魅力がなくなってしまった。

5. 西郷駅

西郷街は米や生糸などの生産が盛んな地であった。
駅前には大型倉庫が集まっていたが、今ではその面影もない。
駅から南方普賢岳の麓へ広い水田が広がる。
今もうまいコメとして評判の西郷米の産地で、岩戸山から流れ出る西郷川(大川)が生み出す。
その中・下流に杉峰城跡があり、標高36メートルの地に本丸を置き、その南に二の丸や出丸を配置している。
その間は7~8メートルの掘が切り離されて、さらに南方に道を挟んで家屋が連なり、家臣団の住居だったろう。
かなり大きな山城で、西郷氏が南北朝時代に築かれたものであろう。
豊かな農業地帯の山田、守山、古部、ここ西郷、神代、多比良、湯江と土豪が勢力を張りあい、それぞれ居城として山城を構えている。
さらに南下し、西郷川の上流の岩戸神社がある。
古くからの修験道場で、杉の大木に囲まれている。
周辺の巨大な岸壁からは岩清水がわき出ている。
空気がひんやりとして、神居ますという感じ。
江戸時代には、島原半島三十三観音霊場として、人々の信仰を集めていた。
帰路、西郷八幡神社による。
境内に古い形の鳥居がある。
がっちりした柱、笠木が3つに分かれて組み立てられ、その両端がピンとつり上がっている。
江戸初期のもので、珍しい肥前形鳥居である。
側に立つ進藤行道宮司の頌徳碑には原口要の名が見える。
同家の3男として生まれ神童の名が高かった。
島原藩士原口家へ養子に出て、明治新政府の貢進生に選ばれて上京する。
大学南校に進み成績優秀、文部省の第一回留学生となる。
アメリカで学習し、卒業後当地の鉄道会社の技師として働く。
当地の新聞には、(我が国の)ペリーが日本を開国させた頃に生まれた日本の若者がペンシルバニア鉄道会社の技師として活動している。
日本の国の発展は目覚ましいものがあると、報道されている。
帰国後は東京府の技術長となり、鉄橋や上下水道の工事を指導する。
鉄道庁に移り、全国の鉄道敷設の設計・監察に当たる。
やがて日本初の工学博士となる。
島原鉄道が創立されると物心両面から支援し、同社の顧問として郷土の発展に努める。
またこの町からはノーベル賞を受賞された下村脩博士が出ている。
博士は旧神代領伊古村庄屋の出で、長崎や名古屋の大学で学び、アメリカへ渡って、発光体の研究で見事ノーベル化学賞を受けられた。
その記念碑が瑞穂支所前庭園に立てられている。

下村脩博士記念碑(西郷)

下村脩博士記念碑(西郷)

6. 神代駅

敷設第2工区はここまでで、1912(大正1)年に終わる。
神代村ではこの年に電灯も引かれて、文明開化が一度に伝わったと喜ばれた。
神代は古い歴史を持つ。
奈良時代には無乃呂とあり、高来4郷の一つであって高来津座へ献上地・神田に由来する地名か。
中世には髪白庄40丁とあり、古代から農業生産の要地であった。
南北朝期の争乱時には南朝方土豪として神代式部貴益の名が見える。
戦国時代に有馬氏が一円支配するとその勢力下に入る。
しかし龍造寺隆信が島原侵入を図ると、この地を佐賀勢の前進基地とする。
大軍が陸路と海路で続々やって来て集結する。
この頃から伊古・古部両村が佐賀領に組み込まれるのか。
しかし龍造寺軍は大敗して滅亡。
豊臣秀吉が九州平定と下向。
鍋島直茂にこの地を与え佐賀領の飛び地とした。
神代鍋島領は石高4419石、東西神代村と伊古・古部両村を領有する。
神代城(鶴亀城)跡に御館を構え、城門のような亀甲積の石垣が左右30m続き、その奥に長屋門がある。
周囲には家臣らの居住区小路がある。
今にもお武家さんが現れそうな雰囲気。
また近くには菩提寺の常春寺があって、宝筐印塔に統一された歴代の領主の墓がずらりと並ぶ。
小京都・神代だ。
<お殿様は外交官>
神代領最後の領主は17代桂次郎公で、兄が急死し15才で相続。
外務省に勤務し、英・米・独公使館に赴任する。
大臣官房課長などを歴任し、伊藤博文の国内外視察時には随行する。
ベルギー公使で退任し、30年にわたり重職を務める。
1916(大正5)年には貴族院議員、子爵に任じられる。
御館には大礼服が展示されている。
公は地元神代との結びつきが深く、特に教育に力を入れて、優秀な人を育てる。
「ふるさとにかねて植えし若杉の栄ゆる園を見て嬉しき」との歌が伝わる。
墓参など帰郷するときは、村人が長浜から白砂を運び、お屋敷までの道を手入れして迎えていた。
今も名物になっているヒカンサクラから始まって、ツツジ、新緑、秋の紅葉と続く鍋島邸は今日も来訪者が多い。

神代鍋島家墓所(神代町)

神代鍋島家墓所(神代町)

 

 

次回は「愛野駅~神代駅」

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「松尾卓次のぶらっとさらく」放送中!

過去の記事はこちら。

乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~①「諫早~愛野」
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第10回 さびしい同窓会

松尾先生のおはなし・島原の歴史 第9回 一号機関車発車
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第8回 カナダ移民第一号・永野万蔵
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第7回 島原城のつぶやき
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第6回 メキシコ帰りの太吉どん
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第5回 島原大変肥後迷惑
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第4回 たたかう金作
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第3回 いのちある限り
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第2回おとうの見た合戦
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第1回くれ石原をかけめぐる
松尾先生の島原街道アゲイン 最終回 「深江~安中」
松尾先生の島原街道アゲイン「有家~布津」
松尾先生の島原街道アゲイン「北有馬~西有家」
松尾先生の島原街道アゲイン「口之津~南有馬」
松尾先生の島原街道アゲイン「南串山~加津佐」
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松尾先生の島原街道アゲイン「国見~瑞穂」
松尾先生の島原街道アゲイン「三会~湯江編」
松尾先生の島原街道アゲイン「島原市街地編」
島原の歴史50選「第6回 激動の時代」
島原の歴史50選「第5回 明治の新しい世」
島原の歴史50選「第4回 しまばらの江戸文化」
島原の歴史50選「第3回 松平時代」
島原の歴史50選「第2回 切支丹時代」
島原の歴史50選「第1回 原始・古代・中世」
「人物・島原の歴史シリーズ 第6回 未来へ続く人々」
「人物・島原の歴史シリーズ 第5回 新しい時代を切り開く」

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