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島原半島観世音三十三霊場巡り6「二十九番霊場~三十三番霊場」

まず一緒に読みましょう。その後で解説をします。

〈 「般若心経」講座 4 〉

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故
心無?礙 無?礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経

二十九番霊場「 川原田観音」(国見町川原田名)

島原半島観世音三十三霊場巡礼もいよいよ最終コース。
あと4カ所だけとなった。
観音様巡りを始めて、一日も雨にたたられたり、予定変更などのトラブルがない。
おかげで巡礼者全員が毎回毎回無事に、心安らかに過ごすことができた。
これも観音様のおかげである。
今日もいい天気の中に回れるぞ。
多比良駅に集まって、土黒・川原田を目指す。
半時間足らずで着いた。
道を挟んで、二つの観音堂がある。
「あれっ? どっちかな」よく見ると、道の北側の方だ。
南の観音堂は、この地出身で文明堂カステラ本舗創立者、中川安五郎の弟、宮崎甚左衛門さんが昭和42(1967)年、ご母堂様の50回忌に寄進されたもの。
今のあるのは母親のおかげと感謝して、出世観音を祭っている。
「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」という、コマーシャルソングで有名な文明堂発祥の地はここであると、コマーシャルしておこう。
川原田観音堂は民家の間にこぢんまりと建っている。
御堂には黒光りする聖観世音像がすらりと立っていらっしゃる。
生花と水が供えられていて、地区の人がお参りされたばかりであろう。
道向こうの観音堂の話といい、信仰の厚い川原田の人たちだ。
もう何度、般若心経を唱えているだろうか。
しかしまだ経本が手放せない。
何せ難しい漢語ばかりだから、さっぱり意味が分からない。
般若心経にはどんなことが込められているのか、私なりに調べたものを書いておこう。
尊い観世音菩薩は、この世のすべての存在を知ろうと修行されて、ついにそれを極められた。
人間を成り立たせている5ツの要素(身体、感覚、意識、意志、認識)はすべて「空(くう)」という本質を持っているという真理を見抜いて、それは錯覚と悟り、この世のすべての禍や苦しみから解放された。
「空」というものは永遠に同じ状態では存在できぬという真実と、他との関連なしに存在できないという真実の存在に関する真理を弟子らに説かれた。
「この世に存在するとは“空”であり、「その特性は生でも死でもなく、物質的現象や心の作用、感覚器官の対象もない。
さらに老いと死の苦しみもなく、それが消えることもない。
悟りを求める人は、この真理をよりどころにして、心に何のこだわりを持たずにおれる。
心にこだわりがないから、恐れるものは何にもない。
とらわれた妄想から遠く離れ、永遠の平和な境地に安住できるのだ。
過去、現在、未来のすべての仏たちもこの知恵の完成によって、この上ない真実の悟りを得た。
知恵の完成で、その真言を説かれた。
「分かりました仏の心。すっかり分かった仏の心。御仏様ありがとう」

 

三十一番霊場「生松庵観音」(有明町東空閑)

再び多比良駅まで戻り、バスで有明庁舎前まで行く。
つぎの生松庵観音まで5.5キロあるから、文明の利器を利用する。
生松庵観音も、これまた古い歴史を持つ。
温泉山満明寺の麓寺として建てられた興善寺に始まる。
それが有馬時代の仏教弾圧や島原の乱で荒廃し、その跡に万治2(1659)年、高力忠房島原藩主により復興し、生松庵となる。
その後、昔のように興善寺と書き換える願いを出すが認められず、庵のまま現在まで続く。
こぢんまりとした寺だが、御堂内には御本尊の大日如来の木像、金銅製釈迦像、地蔵像などがあり、観世音像とともに祭られている。
また寺宝の「涅槃図」もあるそうだが涅槃会時だけのご開帳か。
境内には古い時代の石仏が多く、興善寺時代のもの。
島原半島内を回ってみると、島原が温泉山を中心とした修験者の修行の場であったことがよく分かる。
修験者は温泉三山を初め、一切経の滝などの渓谷、岩戸山の洞穴など神居ます75カ所を設定して、これを発心、修行、菩提、涅槃と区分・配当していたろう。
この霊場を一カ所巡るごとに祖先供養、五穀豊穣や天下太平を祈願して峰回りしていたことだろう。
今でもその場が多く残っている。
一乗院の祭礼が4月8日であるのは、夏の峰入り日。
9月9日に温泉神社の祭礼が行われるのは冬の峰入り日の名残でないかといわれる。

生松庵観音

三十三番霊場「江里観音」(島原市江里町)

いよいよ結願の江里観音堂へと、三会の台地を進む。
陽も西へ傾いて、真正面から照りつける。
また立ち寄ったところが金作祠。
下針金作の屋敷跡に建つ祠だ。
金作とは、数間離れた針をも撃ち落とせる鉄砲撃ちの名人で、その名がついた。
それで金作どんのヤブ(屋敷林)にはスズメも寄りつかず、飛ぶ鳥も避けて通ったそうだ。
島原の乱でも大活躍した伝説の人でもある。
今ではそのヤブもなく、一面畑が広がる。
なんとここにお参りすると宝クジがよく当たるそうだ。
鉄砲の名手だったから、よく当たるのか。
江里に着いた。
ここは杉谷の一番奥で、雲仙岳の舌状台地の末端。
裏山から水が湧き出ている。
雲仙岳の伏流水が湧出しているところに観音堂が建っている。
ずっと昔から、村の水源となって人々の生活を支え、水田を潤してきた。
いつの時代からかここに水神様が祭られ、観音様も安置されて、「恵里」の神として崇められてきたのだろう。
御本尊は千手観世音。
観音様の中でもひときわ功徳が大きいので、蓮華王ともいう。
千とは無限、すべてを意味する。
人々のすべての苦難を救ってくださり、すべての功徳を授けられるそうだ。
巡礼最後にふさわしい観音様である。
結願。
島原半島観世音三十三カ所霊場巡りが無事に終わった。
大願成就である。
しかしまだ修行は続く。
あと4キロ、家までの道のりが残っている。

江里観音

 

三十二番霊場「馬頭観音」(島原市津吹町)

大三東で昼食をとって、一気に三会馬頭観音まで歩く。
この間六キロ。
ただ歩くだけでは物足りないと、見物して回る。
まず立ち寄ったところが松崎の大楠だ。
県の文化財に指定されているだけあって見事な大木だ。
樹齢千年以上、聖樹として崇められている。
大三東小学校横に仲町貞子文学碑がある。
「晴れた日は海を隔てて肥後の山山が近くにクッキリと見え、その岸を大牟田へ通ふ小さい汽船が煙を吐いて行くのです」と、その碑には刻まれている。
このすぐ近くの出身で、昭和初期の文学者。
のびのびとした視野と感性はここではぐくまれたのだな。
湯江と大三東、三会地区と県下有数の畑作地帯を歩いている。
いろんな野菜が青々と育っている。
今も昔も豊かな土地だ。
訪れた馬頭観音は、いわずと知れた家畜の守護神だ。
中原神社に合祀されている。
武士社会では馬は大切にされて、戦闘になくてはならぬ存在であった。
そこで馬頭観音信仰が盛んになった。
江戸時代には馬のみならず家畜の神、旅の道中安全を守る菩薩として広く信仰されていった。
その功徳は畜生道救済、魔障による病気平癒と苦悩除去だ。
島原は藩政時代から馬の大産地。
藩庁では廐方役所を設けて馬産に力を入れていた。
各村には馬籍があって、毎年二月には駒改めをして領内二、三千頭の馬を管理していた。
駿馬は留馬として御用馬の候補としたり、他所への移動を禁じた。
野放しといって温泉山の麓へ放牧もした。
駒市を開き盛んに取引されていた。
その馬産の中心地が旧三会村である。
天保9(1838)年には737頭が飼育されていた。
農家の重要な副業であった。
馬頭観音が祭られたのは当然だろう。
御本尊は馬頭観音だが、そのお姿は拝観できなかった。
御堂内には優秀馬の写真が奉納されている。
この前は近所でお馬さんの姿を見たが、訪ねてみたらもういなかった。
馬も歴史資料となってしまうのか。

馬頭観音

お礼参り

大願成就のお礼を述べようと、一番霊場「江東寺観音」へお礼参り。
お礼参りというと、仕返しのために押しかけることをいうようだが、本来は願いが叶ったときに神仏にお礼に参詣することをいうのだ。
一月から始めた観音様巡りも、33カ所すべての観音堂に参詣して無事に終わることができた。
お線香をあげ、数珠を手にお参りして般若心経を唱える。
観音様ありがとうございます。
同行の皆様ありがとうございました。
坊守様のご接待の麦茶がおいしい。
汗もスーッと引いた。
ありがとうございます。
みんなで記念写真を撮って、さわやかな気持ちで家へ帰る。
(終わり)

次回は、「島原の歴史 Q&A」「島原百景 名所旧跡めぐり」

先生の紹介

松尾先生松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~」放送中!

過去の記事はこちら。

島原半島観世音三十三霊場巡り5「霊場巡り第二十四番霊場 ~第三十番霊場」
島原半島観世音三十三霊場巡り4「十九番霊場~二十三番霊場」
島原半島観世音三十三霊場巡り3「十三番霊場~十八番霊場(南島原市有家町山川名~南有馬町浦田名)」
島原半島観世音三十三霊場巡り 2「八番霊場~十二番霊場 (南島原市深江町~有家町原尾名)」
島原半島観世音三十三霊場巡り 1「一番霊場~七番霊場(島原市内)」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~⑥「口之津港ターミナルビル(外観)」

乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~⑤「旧口之津鉄道廃線を行く」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~④「島原駅中心」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~③「多比良~三会」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~②「愛野~神代」
乗って島原鉄道~島鉄沿線歴史の旅~①「諫早~愛野」
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