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6.212018
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第4回 たたかう金作
〈はじめに〉
必ず歴史の教科書に書かれている「島原の乱」。島原市三会地区にはその伝承が残る。
三会村には「下針金作」という鉄砲打ちがいて、数間離れた針のメンズ(穴)も打ち抜くことができるといわ
れた名人であった。島原の乱では三会の村人を引き連れて参加、大活躍。
今回は、加わった善太の目を通して見た「島原の乱」の物語。
1、 百発百中
<ダーン、ダ・ダンーン>、、、くれ石原の方で鉄砲の音がこだまします。
三会の畑で働いている村人は、その音を聞きながらささやいています。
「金作どんは、きょうも鉄砲うちバイ。よかね」。
「ほんてね、猟師は年貢ば払わんでよかけんね」。
「それにくらべて、おどんたちゃたいそう年貢ば取れて苦しかとに、、、」
<ズドーン>
ひときわ大きな音をおしまいにしたかのように、鉄砲の音がやみました。
しばらくして黒光りする鉄砲を小脇にした男が、キジやウサギなどの獲物を背に、山から下ってきました。
金作どんです。
鉄砲の名人で、数間離れたところにつり下げた針の穴でも打ち落とすことができる腕前持っているから、<下げている針>さえも打ち落とすことができるので、下針金作といったのです。
その屋敷にはスズメも寄りつかず、飛ぶ鳥もさけて通るといわれています。
「金作どん、よけい取れたっとですね」。
「おう、善太か。ホレッ」と山鳥を渡しました。
2、 苦しむ農民
「おかあ、これ!」。
「どがんしたと、善太」と驚いておかあはいいました。
「今夜は鳥メシにしゅうだい」。
その夜は家族みんなは生き返ったような気がしました。
「ああ、うまかった。
こがんうまかめしば食ったちゃ、何年ぶりじゃろかいね」。
毎日働きづくめで、くたくたにつかれているおとうはニコニコしています。
みんなの笑い顔を見るのは久しぶりです。
有馬の殿様から松倉の殿様に変わってからというものは、苦労続きでした。
新しい城造りのために、城下へ何年も苦役にかり出されたり、きびしい罰は受けるなど、苦しみは大変なものでした。
それなのに今年は不作になりそうで、日照りが毎日続き、池の水も枯れてしまいました。
田んぼには一面ひび割れが広がり、せっかく植えた稲も立ち枯れしています。
このままでは秋の収穫は望めないでしょう。
「どがんしたらよかろうかい」、おとうは心配しています。
朝早くから、夜遅くまで働いても、今年の年貢が払えるかどうか、心配です。
3、有馬氏の時代
昨年暮れのことです。
隣の猪助は、「お役人様、今年は米が不作で、おまけにかかあが病気で仕事が出来まっせん。
どうか年貢ばへらしてくだされ」と、必死に頼みました。
「年貢ばまけろって、ふとどきなヤツめ!」役所に引き立てられ、とうとう殺されてしまいました。
こんなむごいやりかたに、三会も村びとだけでなく各地の農民たちは、松倉の殿様に深いうらみを抱いたものです。
「有馬ん殿様のときゃよかったのう」。
少しのドブ酒で酔ったのか、おとうは昔のことをなつかしむように話し出しました。
「暮らしはそがん楽ではなかったばってん。
年貢ば払えんこっはなかった。
何よりよかったこっは、自分が思ちょるごて出来たこったい。
キリシタンていうて、南蛮渡りの神様ばおまいりしてもよかったし、異人さんのありがたい話しば聞かれたもんね」。
「へぇ~、そがんじゃったと、昔は、、、」と初めてのことばかり、善太にはよく分からないことも多かったが、おとうは疲れのためか、話しながら眠ってしまいました。
4、善太の弟子入り
朝です。
おとうはもう畑仕事に出かけています。
善太も手伝いしようと外に出たら金作どんが狩りに行くところです。
「金作どん、きのう山鳥ばありがとうござりました。
オイも狩りに連れて行って下され」。
「よかたい、しかし山はきつかとぞ」。
獲物がいそうなところはどんなところも進んでいきます。
谷だろうと崖だろうとです。
善太は鉄砲の音を頼りについていくのに必死です。
<バーン>
また鉄砲の音です。
金作はねらった獲物は絶対に逃がしません。
空を飛ぶキジであろうと、野をかけめぐるウサギやシカであろうと、百発百中です。
「善太、きつかろう」石にどっかと座った金作は笑顔で待っていました。
たどり着いた善太は、竹の筒に入った水を分けてもらい、やっと一休みです。
「お前もいっちょううってみるか」といって、鉄砲を渡しました。
恐るおそる手にした鉄砲は、思いのほかずっしりした重さです。
火薬のにおいがツーンと鼻をさします。
右肩に当て、左手人差し指で軽く引いたら、<グァーン>と、雷が落ちたのかと思うような大きな音がして、後ろへはじき飛ばされました。
そばで金作が笑っています。
「よか、よか。初めしてはよーう出来たたい」。
善太は金作の弟子にしてもらうことになりました。
それから世の中のことなど、いろいろと教えてもらいました。
5、怒りの鉄砲
三会村を始め、農民たちは幕府の命令したキリシタン禁止と松倉のお殿様の情けようしゃない年貢の取立てに、もう我慢できなくなりました。
稲の刈入れを前に、各村の庄屋たちの寄合が開かれました。
「今の苦しか生活ばどがんかしようで、、、」。
「苦しんでいる島原と天草ん者は力を合わせて戦おう」。
「昔のごてキリシタンが盛んじゃった、あの豊かな世の中ば作り出そう!」。
秋の取入れも終わったころです。
キリストの絵を焼きすてたお役人を、怒った村人が打ち殺す事件が起こりました。
これをきっかけに各村の人たちが立ち上がりました。
三会村でも金作が仁王様のようにすっくと立ち、話しています。
右手には鉄砲ががっちりとにぎられています。
「おどんたちゃ今までお上から虫けらのごて扱われてきた。
我慢にがまんば重ねてきたが、もう我慢できん。
みんなで力を合わせて殿様ば追っ払おう」。
それを聞きつけた武士が取締りにやってやって来ましたが、逆に村人から追い返されました。
村人は武士が来ると家をからにして逃げ、からになった家で武士が休んでいると、いつの間にかまわりを取り囲み攻撃します。
武士たちは自由に身動きができません。
その中を赤や黄色の立派な衣装の大将を、金作がねらいをつけて打ち取ります。
大将を失った武士たちは逃げまどい、それを待ち構えた村人にたちまちけ散らされてしまいました。
千本木に年貢を入れる米蔵があります。
お城へ運ぼうと400人の武士がやって来ました。
通りの森や山の上へ待ちぶせしていた金作たちはいっせいに攻撃を仕掛けて、またまた武士を追っ払いました。
三会村の人が米を持ち帰ったことはいうまでもありません。
6、原城へ
死を覚悟して、徹底的に戦うことを決めた農民たちは、有馬の原城跡に立てこもることに決めました。
三会を去る日です。
「おとう、おかあ、さよなら。
金作どんたちといっしょに行くけん」。
おかあはカマドの陰で泣いているようです。
おとうはだまっていますが、この数か月の間にすっかりたくましく成長した我が子の姿を見て、頼もしく思いました。
原城跡にはもうたくさんの人が集まっていました。
元気のよい若者だけでなく、老人や子ども、女の人もいます。
南目での村では村をあげての参加です。
海向こうの天草からもで、集まった人たちは3万人にもなります。
善太たち三会村の人たちは二の丸出丸を守ることになりました。
ここは城から突き出たところにあるので、敵を攻撃するにはもってこいの場所です。
元武士だった田部刑部様と組頭の六右衛門さんの指導で、まずこわれた石垣を積み直したり、丸太でサクを作って守りを固める仕事で休むヒマもありません。
城内のあちこちに、白布に十字架のしるしを描いた旗がたくさん立っています。
本丸には天草四郎様がいて、そばにはひときわ立派な聖旗があります。
多くの人をまとめるこの旗は、真ん中に大きなグラスが描かれ二人の天使が両方から仰ぎ見ていて、異人さん言葉が描かれています。
朝と夕方には一斉にお祈りが始まりました。
「、、、、、、、、、、、、」。
初めて聞くお祈りの言葉は、善太にはさっぱりわかりません。
お祈りの終わりにはみんなで、「サンチャゴ!」とトキの声をあげました。
集まっている人々は、どこの村の人も区別なく助け合いました。
昔、武士だった人は評定人となって戦いを指図します。
各村の庄屋たちは談合人として農民をまとめ、毎日の暮らしの面倒を見ます。
おとうが話していたキリシタンの世がまたここ復活したようです。
「おどんたちにはイエス様がついとらすとぞ。負けるもんか」。
善太はそう思いました。
7、サンチャゴ!
農民たちの反抗に驚いた幕府は、板倉重昌を総大将にして九州各地の武士に総攻撃を命令しました。
サクからのぞくと、色とりどりの旗を立てた武士がびっしり取り囲みます。
<ブォーツ、ブォー>
<ドン、ドーン>,,,,,。
ほら貝やタイコの音がします。
「敵だ。
敵が攻めてきたぞ!」。
城前の湿地に続々とやって来ます。
またたく間に埋め尽くし、ところどころに馬に乗った着かざった武将が見えます。
「うてー!」
こことばかりに、善太は引き金を引きました。
<バン! ババーン>
赤いヨロイ・カブトの武将が馬から落ちました。
そして沼の中をはいずりまわっているのが見えます。
それからは無我夢中でうちまくりました。
「善太、よくやったぞ。
敵は逃げていくぞ」。
その声で気がつくと、金作が横に来ていました。
攻撃を仕掛けた武士は退却です。
「サンチャゴ!」。
城内からはカチドキの声が一斉に上がりました。
「百姓の力ば思い知ったか」。
「戦いはなんでんなかと。
今までん苦しか思いばはらしてやったぞ」。
この戦いで、総大将の板倉重昌を失った幕府・大名軍は、農民たちに手が出ない有様です。
農民の反抗だからすぐ取りつぶせると思っていた幕府・大名軍はさらに増やして12万の大軍で原城を取り囲みました。
一人も出入りできないように封じこめ、<食料責め>にしようとの作戦です。
また平戸にいたオランダ船に頼んで大砲を打ち込ませたりしました。
善太たちが城に立てこもって3か月にもなると、食料も鉄砲玉や火薬を使い果たしてしまいました。
8、今も伝わる金作の話
鉄砲うちの名人の金作ですが、鉄砲玉や火薬がなくては戦になりません。
食べ盛りの善太には、食べ物不足がこたえました。
目だけをぎょろぎょろさせています。
飢え死にするか、それとも戦って死ぬか、いよいよ最後のところまで追いつめられました。
毎日のお祈りにもだんだん力がなくなっていくようです。
「天にいます我らが神よ、我らを救い給え、、、」。
善太もいっしょにお祈りしました。
雨が降ってきました。
毎年春先に降る雨です。
そのモヤの中を幕府・大名軍がじりじりと押し寄せてきます。
前から築かれてきた攻撃用のサクがとうとう城より高くなって、そこから鉄砲や弓を打ちかけてきます。
高いところからの攻撃で、ちょうど雨のように降り注ぎ、身の避けようがないのです。
善太も足に矢を受けました。
つける薬もなく、ただ布で巻くだけです。
なんだか元気が無くなっていくようです。
一斉攻撃が始まりました。
1638(寛永15)年2月27日の事です。
朝早く佐賀の武士が二の丸へ、熊本の武士も三の丸へ,福岡の武士が天草丸へと12万の大軍が一斉に動きます。
「善太、ぬかるなよ」。
「ハイ、金作どん」。
善太は元気よく立ちあがり、受け持ちの場所へ走りました。
サクの前には沢山の武士が後から後へと波のように押し掛けきます。
<ガーンー>、、、「どうした善太!」 鉄砲玉があたったのです。
見る間に着物が赤く染まっていきます。
金作がかけ寄り、抱き上げました。
「善太!元気ば出せ。かたぎはうってやるけんね」。
善太はただうなずくだけです。
だんだん意識が遠くなっていくようです。
鉄砲うちの名人金作に抱かれている今が一番の幸せに思えました。
<ゴーッ、、、、、>
海鳴りのような音が聞こえてくるだけです。
その後、善太と金作がどうなったか、誰も知りません。
原城跡には何千、何万という死体が横たわっていました。
老人や女の人、子ども達もです。
名人・下針金作の話はいついつまでも村人に語り続けられました。
金作の家は取り壊されましたが、屋敷林は残され、そこには不思議なことに小鳥も近寄ろうとせず、また屋敷の上も飛ばないのです。
鳥でも金作のことをいつまでも話に続けているのでしょう。(終り)
(次回は「島原大変」)
先生の紹介
松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週金曜日 10:30~「松尾卓次のぶらっとさらく」放送中!
過去の記事はこちら。
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第3回 いのちある限り
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第2回おとうの見た合戦
松尾先生のおはなし・島原の歴史 第1回くれ石原をかけめぐる
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