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松尾先生のぶらっとさらく島原 第6回 南串山~加津佐

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はじめに

3~4月は、雲仙市南串山町と南島原市加津佐町をさらく。
藩政時代の西目筋である。
南串山は一帯に傾斜の激しい丘陵地が広がり、そこには階段状の田や畑が重なり、どの田畑もよく手入れがなされている。
ジャガイモの生産が盛んで、「ジャガイモの里南串山・日本一の味」と国道端に看板が立つほどだ。
昔はサツマイモの生産が多く、コッパの出荷が多かった。
特に太平洋戦争後の食糧難時代には、長崎など都市部からの買い出しの人が多くやって来て、「コッパの村」と言われたそうな。
大正末期から大戦前までは、アメリカ向けのユリの球根の栽培が盛んで、農家の収入も多く、村外からの出稼ぎを集めるほど賑わっていた。
農業収入を高める工夫がいつの世にも盛んな町である。

2.京泊漁港

橘湾に突き出た国崎半島に囲まれた水ノ浦や中ノ場は漁業集落で、明治中期には400戸があったという。
目の前の海で豊かな漁獲を得ていた。
特に回遊するイワシの水揚げが多く、年間乾鰯150?の出荷が記録されている。
現在もイリコ製造は県下一の生産を上げている。
1817年には壱岐島の勢口儀左衛門が捕鯨権利を得て、京泊浦にクジラ納屋を仕組んだ。
しかしクジラを捕ったとの記録は見出せず、どうだったのかな。
幕末に長岡藩士河井継之助が、長崎遊学の帰りにここ京泊へ船旅している。
その日は船頭宅に泊まり、翌朝、南有馬の大江へ歩き、そこで船便を得て熊本へ旅した。
このように京泊は海上交通の要地でもあり、長崎や天草方面への往来が盛んであった。
このあたりの言葉は周りと少し違う。
言語島となり、同じ南串山の中でもここだけは言葉が異なる。
父をトトヤン、母をカカヤン、祖父母をジジヤン・ババヤンと言っている。
これらは小豆島の方言と似ていて、移住者によってもたらされたものという。
それが本村から離れている点、漁業集落として他地域との結びつきが比較的に少ないことなどの理由で、地区独自の言葉が形成されたのだ。
方言がなくなっていく今でもそうかな、じっくりと聞いてみたいものだ。

3. 村岡伊平治

村岡伊平治

村岡伊平治

「鬼池の久助どんの連れに来らすばい…」と歌にあるように、明治の昔は人買いが横行していた。
その中の一人が、中ノ場に生まれて東南アジアで活動した村岡伊平治である。
「女衒(ぜげん)」としてあまりにも名が高い。 1世紀も以前の島原半島の人々は貧しかった。
1892年発刊の「南高来郡町村要覧」には、郡内の棄児144人、窮民108人と書かれている。
各町村に4~5人の捨て子がいたとは、今では考えられないことである。
また食生活にも、「上等の人といえども、米飯のみを食するものは少なく、多くは粟を加える。
中等以下に至ってはこれを等分して、あるいはコッパ(切干藷)を加える。
下等に至ってはコッパに粟麦を交えるは上で、多くはイモあるいはコッパのみを食する」とあり、これまた貧しい人々の生活状況を物語っている。
明治になり、自由経済となると、出稼ぎが多くなり、海外へも拡大していく。
農業生産性の低い南目・西目では、人口増加を村々では吸収できず、口減らしや収入源を求めて他地へ仕事を求めねばならなかった。
ある村の1910年の外国滞在者が57人いて、その中の43人は「奉公人」であった。
中国16人、東南アジア14人などと、この人たちはからゆきさんであったろう。
その地での暮らしは、生活のためやお金を稼ぐためといえ、前借金100円ぐらいで人間性を奪われ、悲惨な生活を強いられていたのである。
しかしなかには多額の金を送り、国元で田畑を買い、家屋を手に入れた人もあった。
大正末期の調査で、小浜署管内4町村の海外送金額は、年間1万2千余円となっていた。
骨身を削った生活で得たお金がどれだけ親元の暮らしを助けただろうか。
この事実、歴史をどう考え、何を学び取るか。

 

4.路木越え

加津佐を目指して歩く。集落も見えなくなり、森林地帯を歩く。静かなものだ。
彦山神社前を通り、広い路木原に入る。360度みんな畑地で、赤い高地が広がる。
ジャガイモ植え付け準備中だ。久しぶりに雲仙岳を見る。これまた美景だ。
幕末ここを通った河井継之助は、「山上四方の景色もっとも好し」と旅行記に書いているが、同感、同感。
路木集落北端にある三叉路は3町が接する地だ。
こちらは南串山町、左手は南有馬町、道向こうは加津佐町と、道一つで隣村となっているところだ。
藩主がご巡視の時には、ここ路木本茶屋で3村の庄屋がお出迎えしていたという。

南串山庄屋跡

南串山庄屋跡

途中小さな堤があり、ここは茶屋堤か。
こんな山中にもため池が造られ、谷間には水田が広がりと農民のコメ作りの苦労が現れている。
この辺りから下りになり、200mを一気に下る。
足元に加津佐の町が見える。白岩坂で、近くに岩戸山と遠くに天草が見える。これまた美景で、一休して長かった路木越えを終わる。

円通寺

円通寺

 

5.岩戸山

町中に入った。寄り道して岩戸山へ進む。再び国道251線と出会う。
小浜金浜からここまで海岸沿いに県道を通したのが1889年のことで、西目の交通が随分と便利になった。
岩戸山は陸繋島で、向こうに見える女島に対して男島という。
96mの山全体が一面樹林で覆われている。
藩政時代から特別に保護されており、今では国の天然記念物に指定されている。
亜熱帯植物など300種の木々が山を包み、浮世から離れた別天地だ。
南北朝時代に有馬直澄に招かれて加津佐にやって来た曹洞宗の高僧大智禅師が、晩年に座禅三昧にと草庵を結んでいた地。
山道入り口に禅師の詩がある。
「岩上の青山動ぜずといえども、波心の明月去って流れに随う」 この霊場もキリシタン隆盛期に破壊されていた。
フロイスの『日本史』に、岩戸観音に難を逃れようと隠されていた仏像などが焼き払われたと書かれている。
島原の乱後に、雲山愚白和尚が巌吼庵を開き、また妙覚祥尼が岩戸観音を復活させ、再び霊山が甦った。
海抜90mの断崖絶壁の上には大智禅師が座禅を組んだ場所が残されている。
座ってみると、眺望がよく海風も心地よく、なんだか修行を積んだようで心が澄み切る。

6.円通寺跡

また街道から離れて左手にある台地に上る。こんもりとした森があり、円通寺跡である。
ここを中心に10ヘクタールもの広大な寺域があって、七堂伽藍が天高く聳えていたそうだ。
今の温泉神社裏手には道元禅師を御本尊として祭っていたし、老人ホーム跡地には堂塔や宿坊が建ち並び、僧侶500人が修行していたという。
そしてこの地に山門が置かれ、その礎石が今こうして残されている。直径1mもある五角形をした大石で、円通寺の壮大さを物語っている。
またここには大梅の塔という県指定文化財である大智禅師の墓がある。
高さ150㎝の墓碑の柱石には「当時開山大智老和尚」、台座正面に「南京正平二十一丙午年十二月十日、行寿七九歳、於当山示寂」と刻まれている。
大智禅師は曹洞宗の高僧で、肥後宇土に生まれた。元に渡海して研鑽を積む。
有馬直澄から招かれて、この地に水月庵円通寺を建てて開祖となった人である。
そんな高僧と大寺院があったとは知らなかったなあ。
時代が変わって戦国時代末期に、近くにコレジョも造られている。
いうまでもなく、今の大学にも相当する教育機関で、キリスト教義を修得して司祭を目指すところである。
もうこの時代には弾圧を受けて各地を移転していたが、1590年ここへやって来た。
同時に遣欧少年使節が持ち帰った活版印刷機が置かれ、本格的な出版活動が行われた。
ヨーロッパで始まったばかりの活版技術が日本にも渡来して、この地で日本最初の活版印刷が行われたのだ。
「サントスの御作業」「加津佐物語」などが刊行されている。
禁教が強化されていく時代だが、島原の地ではむしろキリシタン文化が発展していた。
このコレジョ跡も畑と変わり、説明板が建つのみ。
この復元印刷機は、有馬キリシタン遺産記念館に展示されている。

円通寺

円通寺

7.「がしんたれ」詩碑

街道は国道251線となる。
女島の麓、旧加津佐駅裏の松林の中に菊田一夫詩碑がある。
<がしんたれ けふは泣きけり 故郷の 海の蒼さよ 菊田一夫>と刻まれ、昭和33年に雲仙へ取材旅行中に立ち寄り認めたもの。
ご存知の人も少なくなったろうが、一世を風靡した「君の名は」の作者である。
「忘却とは忘れ去ることなり」のナレーションで始まるラジオドラマは、日本中の紅涙を誘った。
また映画化され、雲仙や島原でロケが行われて大評判。
映画「君の名は」が島原でも封切されると、これまた多くの人を集めた。
氏の自伝的小説『がしんたれ』を読むと、加津佐で過ごした小学校時代を懐かしく思い出している。
和吉は1917年、4年生の夏に台湾から転入、養母がここ加津佐出身だったから一時帰省。
1年足らずの生活であったが、故郷と思えたのである。
その後の波乱に満ちた生活上、母と子の心を癒したのが加津佐の美しい自然であったようだ。

(次回は口之津町から南有馬町まで)

先生の紹介

松尾先生は昭和10(1935)年島原市生まれ。
島原城資料館専門員、島原文化財保護委員会会長。
『島原の歴史については松尾先生に聞け』と言われる島原の生き字引的存在。
著書に『おはなし 島原の歴史』『島原街道を行く』『長崎街道を行く』など。
※FMしまばら(88.4MHz) 毎週水曜日 12:05~「松尾卓次のぶらっとさらく」放送中!

松尾先生

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松尾先生の島原街道アゲイン「国見~瑞穂」
松尾先生の島原街道アゲイン「三会~湯江編」
松尾先生の島原街道アゲイン「島原市街地編」
島原の歴史50選「第6回 激動の時代」
島原の歴史50選「第5回 明治の新しい世」
島原の歴史50選「第4回 しまばらの江戸文化」
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島原の歴史50選「第2回 切支丹時代」
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「人物・島原の歴史シリーズ 第6回 未来へ続く人々」
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