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とれまる取材日記5月6月

5月15日「わかくさ園保育所の園児たちがマテ貝掘りに挑戦」

とって楽しい!食べておいしい!「マテ貝掘り」のシーズン到来!という事で5月の中旬、わかくさ園保育所のマテ貝掘りにお邪魔しました。
子どもたちは塩を入れてもらったドレッシングボトルやペットボトルを手に??私が子どもの頃はマテ貝の貝殻をスプーンがわりに使ったものでした??マテ貝の穴に塩を入れては、たまらず顔(?)を出したマテ貝を次々につかまえていました。
力まかせに引っ張ってマテ貝の身が抜けてしまうのもご愛敬。
最後はびしょぬれになりながら水遊びを楽しんだりと、初夏の海を思う存分満喫した子どもたち。
この土地ならではの思い出がまた一つ増えたようです。(M)

6月1日「『マモル号』が島原鉄道で運行開始」

島原新聞・FMしまばら、そして弊社、カボチャテレビの先代社長、清水眞守の急逝から2カ月ほどたったある日、会社の朝礼で社員のひとりから「生涯を通じてふるさとの防災に奮励した前社長の思いをヘッドマークにしよう」と提案がありました。
災害から地域を守ることにいつも心を砕いていた前社長。
FMしまばらをはじめとする災害時に役立つ情報インフラの整備、拡大と、住民の安心安全な暮らしを「まもる」ために尽力した、ふるさとを愛する人でした。
その思いや人柄を知るからこその提案に、社員の中には涙ぐむ者もいました。
私たちにとって前社長は、時にシャイで照れ屋、時に仏頂面の無愛想。
それでいて「おまえ、大丈夫か?」とこちらを気遣ってくれる優しい人。
社内で会うと、なぜか私には、映画「男はつらいよ」の寅さんの口調で「小にょろ、相変わらずバカか?」と私をタコ社長呼ばわりする人。
『マモル号』運行開始当日、私は取材しながら、忘れかけていたそんなかつての日常を思い出していました。
その朝の駅のホームは、決してしめやかな雰囲気ではなく、賑やか好きの前社長にふさわしく、『マモル号』を前にした弊社社員らの笑顔であふれていました。
私もお別れが急だった前社長にまた会えたような気がして撮影しながら終始ウキウキしていました。
「俺のヘッドマークだ。
羨ましいだろ!小にょろ!」そんな声が聞こえてきそうでした。
発車の合図のあと南島原駅を出発した『マモル号』を見ていると、前社長が愛したふるさとをやがては守っていく立場にある私たち世代を、「しっかりやれよ!」と勇気づけてくれるようでした。(鰻家)

6月3日「いのりの日 大火砕流惨事から27年」

43人の犠牲者を出した平成3年6月3日の雲仙普賢岳大火砕流惨事から27年を迎えました。
島原市ではこの日を犠牲となられた方々の慰霊と災害の記憶を風化させず後世に伝えていく決意を新たにする「いのりの日」と定めています。
この日は仁田団地第一公園内にある雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑前や島原市平成町の消防殉職者慰霊碑前に終日献花所が設けられ、古川島原市長をはじめ行政関係者それに遺族、地元の中学生らが白菊や花束を手向け犠牲となられた方々の冥福を祈りました。
また、安中地区住民らの手により、災害遺構が保存されている北上木場農業研修所跡地に設けられた献花所には消防団仲間への鎮魂の祈りや、故郷への思いを込めて育てられた花々が手向けられました。
そして大火砕流が発生した時刻の午後4時8分には慰霊の鐘が打ち鳴らされ、遺族や住民らが黙祷を捧げました。
また夜には子どもたちが追悼の想いを込めて、手づくりのキャンドル1000個に灯りをともす「いのりの灯」が雲仙岳災害記念館で行われるなど、大火砕流惨事から27年を迎えたこの日、島原市は鎮魂の祈りに包まれるとともに、災害の教訓を後世に伝えていく決意を新たにしていたようでした。(A)

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