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島原市シティインフォメーション

島原城は来年、築城400年を迎えます。
豊臣秀吉の直臣であった松倉重政は1600年、関ケ原の戦いで徳川家康に認められ、今の奈良県大和五条の1万石の大名として二見城主となりました。
そして、1615年、大坂夏の陣での活躍で、1616年に九州肥前日野江(南島原市)4万3千石の城主となりました。
当時一国一城令であったにもかかわらず、それまでの原城と日野江城を廃して、島原城を築きました。
その城の規模は4万3千石の大名には分不相応な大きさであり、重政が何を考えていたのか、また外様大名が多い九州の地での島原藩の役割や、江戸幕府とのかかわりなどミステリーです。
築城後の島原の乱への関連など、松倉重政、勝家親子の評価は様々でありますが、島原の森岳へ城を築いたことにより、この地は島原半島の政治と経済の中心地として発展し、今日につながっています。
島原城は島原市のシンボルであり、観光の拠点でもあります。
背後に眉山と雲仙岳、前には有明海を望む島原城は、島原大変肥後迷惑など災害を乗り越え復興に大きな役割を果たしています。
湧水溢れる街並みは重政が残した大きな財産でもあります。
今、400年前に思いを馳せる時、私は松倉重政の残した功績は大きなものであり、現在、県の指定文化財である島原城跡は国の指定を目指しています。
島原市発展の基礎を築いた松倉重政へ感謝の思いを、奈良県五條市へお伝えし、令和6年の築城400年を迎えたいと思います。

 

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