人物・島原の歴史シリーズ

  1. 松尾先生のぶらっとさらく島原 第8回 北有馬~西有家

    〈はじめに〉有馬氏のこと街道は春日神社前を通る。ここは有馬氏の氏神様で、有馬氏の先祖は藤原純友といわれるから、一族は奈良・春日大社を勧請して分霊した。また日野江城下を通る。有馬氏の居城で、1215年に藤原経澄がこの地に地頭として入国し、土地の名をとって有馬と称した。

  2. 松尾先生のぶらっとさらく島原 第7回 口之津~南有馬

    はじめに口之津は港で栄えた町である。有明海の入り口にある津(港)ということからその名が生まれたろう。有明海は大きな内海で、沿岸に熊本、柳川、佐賀の町があり、そこへ?がる口之津は格好の港である。

  3. 松尾先生のぶらっとさらく島原 第6回 南串山~加津佐

    はじめに3~4月は、雲仙市南串山町と南島原市加津佐町をさらく。藩政時代の西目筋である。南串山は一帯に傾斜の激しい丘陵地が広がり、そこには階段状の田や畑が重なり、どの田畑もよく手入れがなされている。

  4. 松尾先生のぶらっとさらく島原 第5回 千々石~小浜

    はじめに千々石町は大きな町である。それはまた歴史の古い地である。島原地方が初めて国中に紹介されたのは『肥前国風土記』で、そこには千々石の項がある。愛野町の原口番所跡から出発。ここは南目道の出入り口になっていて、関所が置かれていた地。

  5. 松尾先生のぶらっとさらく島原「第4回 吾妻~愛野」

    はじめに・吾妻町~旧・三室、守山、山田の3地域が合併して、地域の背後に控える吾妻岳より「吾妻」と名付けた。この吾妻岳より有明海まで山野が広がり、古代より続く豊かな農業地域である。・愛野町~旧・愛津、野井両村が合併して「愛」「野」の名を頂いた。

  6. 松尾先生のぶらっとさらく島原「第3回国見~瑞穂」

    はじめに国見町は大きな町である。歴史も古く、訪れたいところも多い魅力的な町だ。何しろ藩政時代からの大村。多比良と土黒、それに鍋島領神代が合併して生まれた町で、面積38平方キロメートル人口1万2千人。背景に控える雲仙・国見岳から名をいただき町名とする。

  7. 松尾先生の島原街道アゲイン「第2回 三会~湯江」

    はじめにいよいよ島原街道を一巡りします。まず北目道を歩きます。今回は旧杉谷村から、三会、大三東、そして湯江まで。そのコースは、二軒茶屋・三会大手原・駅前・洗切・松尾駅前・大三東駅前・東小路・大三東小学校前・勝光寺横・湯江川沿い・小学校前・温泉屋敷・栗谷川です。

  8. 松尾先生の島原街道アゲイン「島原市街地編」

    はじめに歩け歩け!一日に1万歩を目標として歩く人が多い。健康のために歩くことが大切だと、せっせと歩いている。歩くこと、それは昔の人にとってはごく普通、生活の一部だった。どこへ行くにも歩いて行った。

  9. 松尾先生の島原の歴史50選「第6回 激動の時代」

    1.青い目の人形・リトルメリー1927(昭和2)年「青い目の人形」が日米友好と平和の使者として島原・南高の小学校へやってきた。この時期、アメリカでは反日感情が高まっていた。日本で長年、宣教師や神学校教師として活躍していたギューリック博士は心配する。

  10. 松尾先生の島原の歴史50選「第5回 明治の新しい世」

    1.廃藩置県1867(慶応3)年、将軍慶喜が大政の奉還を上奏した頃には島原藩主は病床にあって、「城内では大吟味で昼夜相詰めて…、色々評論に相及び…」との状態であった。やっと家老・板倉勝直が上京して朝廷に忠誠を誓うのである。そして奥州出征を命じられた。

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