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OPINION「雲仙火山のホームドクター 九州大学 理学研究院 准教授 松島 健」

松島健

1.地震火山観測研究センターとは?

島原市の西側にそびえる眉山の裾野、島原市総合運動公園の南側に隣接する数棟の小さな建物をご存知でしょうか?ここが雲仙火山や九州の地震観測研究拠点の九州大学 理学研究院 附属地震火山観測研究センターです。
雲仙・普賢岳の噴火災害を経験した人にとっては「九大島原地震火山観測所」という名称のほうが馴染み深いかもしれません。
1962年長崎県と島原市の支援で作られた「島原火山温泉研究所」がそのルーツです。
1967年には借用していた県有建物と市有地を購入して九州大学の正式施設となり、研究者が1名赴任してきました。
この人が太田一也助手(現名誉教授)です。
その直後の1968年には島原半島一帯で地震の群発が顕著となり地域住民に多大な不安を与えたことから、雲仙火山における常時研究観測態勢の整備が強く要請され、1971年に「島原火山観測所」が設立されました。
1974年には火山ガス観測装置が整備され、島原・小浜・千々石の3ヶ所に地震計を設置して雲仙火山の観測を充実させてきました。
1984年には別府~島原地溝帯を中心とする九州北部の地震観測研究を開始し、「島原地震火山観測所」に改称になりました。
清水 洋 博士(現センター長)が東北大学から助手と赴任してきたのもこの頃です。
1989年ごろより雲仙岳の西側、千々石湾を中心に地震活動が活発になってきました。
地震の震源は徐々に東へ移動し、その深さも浅くなってきました。
1990年8月には火山性微動も観測され、九州大学は火山観測監視体制を強化しました。
そして、1990年11月17日に雲仙・普賢岳が静かに噴火を開始しました。
日本では1986年の伊豆大島噴火以来の大きな噴火になったため、全国の大学や研究所の火山研究者が火山観測の応援のために集まってきました。
そのなか、1991年5月20日に山頂から熱い溶岩が噴出を始め、大きな溶岩ドームに成長を始めました。
そして6月3日にはドームの一部が崩落して火砕流となり、外国人研究者やマスコミ関係者、地元消防団や警察官など、43名の人達が犠牲になってしまいました。
太田一也所長を始め観測所の職員は日夜雲仙岳の火山観測を続けました。
毎日のように島原市長をはじめ防災関係者が太田先生に助言をもとめて訪問してきました。
雲仙岳火山のホームドクターと呼ばれるようになったのもこのころです。
観測所には24時間警察官や災害派遣の自衛隊員が常駐し、九大が提供した地震計のデータを監視し、火砕流の震動波形が記録されるごとに、無線で各方面に避難を呼びかけつづけました。
大学の施設内に警察や自衛隊が常駐するという、1960年安保闘争時代の人達には信じられないような協力体制が構築されていました。

2.全国の地震・火山噴火の観測研究

雲仙・普賢岳の火砕流で多くの犠牲者が出たころ、私はまだ北海道大学地球物理学教室で研究生をやっていました。
特に火山観測研究に精通していたわけではなかったのですが、雲仙火山の活発化で人手不足となっていた島原地震火山観測所の定員増の話があって応募したところ、運良く太田先生に採用してもらえました。
1992年4月のことです。
新たに九大に整備されたGPS装置や傾斜計のデータ処理をするのが本務でしたが、すぐに観測要員として毎日自衛隊ヘリに搭乗させられ、着陸してからはマスコミの人達に囲まれて火山状況を解説するという日々を送りました。
北大時代ののんびりとした研究生活とはまったく異なり、急に戦場に送り出された感じでした。
雲仙岳は徐々に活動を弱め、1995年初頭には溶岩ドームの成長も停止しました。
1995年4月には溶岩ドームに初めて登頂し、観測機材を初めて溶岩ドームに直接設置しました。
雲仙岳は安定状態に入りましたが、日本各地では1995年の兵庫県南部地震をはじめ、2000年の北海道有珠山や伊豆諸島三宅島の噴火の際には、全国大学合同観測班のメンバーとして観測・研究の応援で現地に飛び込んでいます。
2011年の霧島新燃岳噴火や太平洋東北沖地震でも発生の翌日には島原から観測車を運転して現地入りしています。
2000年には観測所はセンター化され、「地震火山観測研究センター」に改組されました。

雲仙・普賢岳の火山灰に覆われた島原地震火山観測所(1991年6月)

雲仙・普賢岳の火山灰に覆われた島原地震火山観測所(1991年6月)

3.地震火山観測研究センターのいま

温泉研究所設立から58年、雲仙・普賢岳噴火開始からまもなく30年。
地震火山センターも大きく変わりつつあります。
2000年にセンター化してからは学生教育も本務の1つとなり、数名の学生が島原市に住居を移し地震火山センターで勉強・研究をつづけていました。
しかし九州大学の新キャンパスが福岡市西区に完成し、そこで研究を希望する学生が増えたことから、2017年にはすべての学生が島原を離れ、新キャンパスでの研究になりました。
それにともない教員も徐々に勤務地を福岡に異動し、現在島原のセンターに常駐するのは、私(松島)と数名の技術職員のみになりました。
雲仙岳の観測データは今ではオンラインで日本のどこにいても研究に使う事が可能ですので、研究を続けるうえでは火山の近くに住む必要がなくなっています。
事実、日本の大学の有人の火山観測所は雲仙岳のほか、阿蘇山・桜島・草津白根山・有珠山だけになってしましました。
しかし火山の活動を常時把握するため、また防災関係者との顔が見える関係を続けるためにも現地の観測施設を残すことは重要です。
九州大学地震火山観測研究センターでは、雲仙火山のホームドクターを今後もできる限り継続していく予定です。

防災関係者との平成新山防災調査登山 (2019年5月)

防災関係者との平成新山防災調査登山 (2019年5月)

 

 

松島 健(まつしま・たけし)

プロフィール
1960年北海道生まれ。
北海道大学大学院理学研究科修了理学博士。
1992年4月に九大・島原地震火山観測所に助手として採用され島原市民となる。
現在、地震火山観測研究センター准教授。
雲仙火山の研究のほか九州の地震研究や、全国の地震・火山観測に従事2001年には南極大陸で実施された人工地震探査にも参加した。
現在も島原市に在住し、毎週1日は福岡のキャンパスに学生指導のために通っている。

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