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6.222016
島原市シティインフォメーション

幸田町より訪問団 来島
平成18年、郷土史家の松尾卓次先生の「深溝を歩いて」の寄稿文を読み、愛知県幸田町に松平七万石のルーツがあることを始めて知りました。
当時私は、市議会議員でありましたので、同僚の議員さんを誘い幸田町の本光寺を訪問しました。
13代にわたる松平島原藩主のお殿様が300年以上、整然と供養されてきた墓所に立ったとき、感動を覚えるとともに、歴史の重さを認識し、「島原市民として、この歴史的事実を広く紹介せねば」と強く思った瞬間でありました。
そして、島原市長としての立場になり、多くの市民の方々に、島原の本光寺と幸田町の本光寺のつながりや、江戸時代、殿様の亡骸を深溝(幸田町)まで運んだこと、島原藩主が九州の大名や長崎出島貿易のお目付け役であったことなどを話して来ました。
こうした中、平成26年には、兄弟都市の豊後高田市、姉妹都市の福知山市、幸田町、島原市が一堂に会した「松平家歴史ゆかりのサミット」を島原市で開催しました。
そういう気運を経て、昨年は市民100人で幸田町を訪問し、大歓迎を受けました。
そして今年は、11月6日と7日の2日間、幸田町よ り100人の訪問団が島原市へ来ていただくこととなりました。
幸田町は、歴史のみならず、日本を代表する中部工業地帯の中でも生産性が高く、活力のある発展中の町です。
これからも、お殿様のご縁をきっかけとして、さらにお付き合いを深めて行こうと思います。
市民の皆様、幸田町の訪問団を島原市全体で歓迎したいと思いますので、よろしくお願いいたします。