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10.202017
島原市シティインフォメーション

さらなる交流に向けて愛知県幸田町との姉妹都市提携
1669(寛文9)年、現在の愛知県幸田町がある三河国の出身で京都福知山城主であった松平忠房公は豊前・豊後(現在の大分県宇佐市・豊後高田市)三万石を加増され島原藩主として着任しました。
島原松平七万石の誕生でありました。
以来、明治維新の時まで、途中、宇都宮藩の戸田氏との国替えを挟み、13人にわたる松平の殿様が産業を興し、文化を広め、「島原大変肥後迷惑」など幾多の災害を乗り越えて今日の島原市の礎を築いてくれました。
忠房公以来、歴代藩主は出身の三河をしのび、13人すべての殿様が死亡の後はそのなきがらを今の幸田町にある瑞雲山本光寺へ運び、手厚く供養し、その墓石群は「島原藩主・深溝松平家の墓地」として今日まで大事に守り続けられて来ました。
そして島原の本光寺も松平家の菩提寺として重要な役割を担ってきました。
これらは歴史的な事であります。
私は市長就任以来この幸田町との歴史的な重みを市民の皆様へお伝えして来ました。
平成26年に「松平家歴史ゆかりのサミットin島原」を開催し、幸田町と「歴史と文化の友好交流推進協定」を締結し市民相互の交流を続けてまいりました。
この度、10月11日に幸田町と姉妹都市を結びました。
これまでの姉妹都市の福知山市、兄弟都市の豊後高田市との相互交流も進めて参ります。
これは、歴代のお殿様たちが築いた絆のおかげで、それぞれの都市の更なる発展と住民生活の向上につながるものです。
姉妹締結にご協力をいただきました幸田町の大須賀町長を始め、関係者の皆さんと島原市民の皆様へ心より御礼申し上げます。