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元気企業『株式会社浜松建設』

人が集い癒される空間創りで一歩先の住環境を提供

木と自然環境の素晴らしさを住まい創りに徹底的に活かした住宅づくりで今、全国から注目を集めているのが浜松建設だ。

前身はご尊父が南島原市深江町で1960年(昭和35)に始めたまるは木材。
島原工業高校を卒業と同時に「3年間東京の建設会社で修業した」ご子息の現社長濵松和夫氏が帰郷したのが1987年(昭和62)。
直後に発生した普賢岳噴火災害を逃れて本社を諫早市に移したが、その後関連会社の(株)ハママツを深江町に設立、現在は半島内に2つの事業拠点を持つにいたっている。

自然との共生を考えた家づくりを追求

平成11年、現社名に組織変更とともに社長に就任した濵松氏は3年後にはそれまで温めていた自身のアイディアを実現すべく思い切った戦略に着手する。
その第一弾がそれまでミカン畑だった森山町唐比の広大な地域での人が集う空間創りだ。
「何もない一面の荒野で私も自らユンボを操作して開墾から始めましたよ」(濵松社長)というからすごい。

ちなみに、自然を活かした空間づくりに取り組むに際しては、その道の先達でもある柳生博氏(俳優)が自ら南アルプスの北杜市に居住し主宰している“八ヶ岳倶楽部”にも春夏秋冬の計4回も訪れ自然への見聞と知識を広めたという。

この頃から建築関連事業にも進出していったが、ここには今、モダンな住居が立ち並びレストランや喫茶店などもある癒しの空間「風の森」として多くの人々が集い楽しむ地域のアミューズメントパークとなっている。

同様なコンセプトで平成20年に地元深江町にオープンしたのが癒しの空間「風びより」だ。
様々な樹木が植栽され人々にやすらぎを与える閑静な中庭をレストランや喫茶コーナー、洒落た土産品ブースなどの店舗が四方を取り囲む配置となっており、癒しの空間で人々にひと時のやすらぎを提供している。
また、最近も諫早市のシーボルト大学近くにやはり癒しの空間「風の森まなび野」を開設、今やアミューズメントな空間も3ヵ所に拡がっている。

顧客主導の“作品”創りを徹底

住まい作りの建築業界に斬新な風を吹き込む同社は受賞歴も数多い。
今年2月に東京で行われた住宅建材大手のLIXILが主催する2014年の全国グループコンテストの住宅新築部門で同社の「ゲストハウス居里」が800点もの応募の中で堂々、準優勝の栄に輝いている。
その時のコンセプトも“どこからでも庭が見える”だったという。

ちなみに同社では、2013年にもLIXILの総合リフォーム大賞を受賞しているが、県下でも県知事賞受賞が計41回、長崎県木材住宅コンクールでは出品を始めた平成8年の第5回から今年の第15回まで連続で受賞を続けている。

現在は住宅建築に留まらず家具やインテリアなどの内装からリフォーム、ガーデニングまでをトータルで手掛ける同社は今や全国の注目企業のひとつだ。
「毎年200社ほどの同業者が全国から当社を見学に訪れる」(濵松社長)というほどの人気ぶりだ。

“楽しく、常に遊び心を忘れず”、プロデュースに取り組むのが好きという濵松社長だが、「普段から気づいたことを書き留められるよう常にスケッチブックは手離さない」という。

中学から高校、社会人と続けたサッカーは国体の県社会人選抜メンバーにも選ばれたほど。
人一倍の行動力で県内はもとより全国を飛び回る多忙な濱松社長だが経営手法も先進的だ。

持ち歩くi-Padには刻々と社員からの連絡や事業報告、日々の統計データなどが送られてくる。
「見える化とスピード化が経営には大切。
各種の決済や決算書までこれでチェックしますから社員も安心、どこでも仕事はできますよ」(濵松社長)という。

このIT(情報技術)を使ったシステム構築の必要性はイギリスのガーデニングの世界大会へ行った時に、どこにいても仕事が出来れば、と気づいたという。

このような先進経営を実践する濵松社長の事業は、「自身の事業を地域の活性化にも役立たせたい」という理想にも繋がっている。

今後も“人と地域に貢献する”どんなアイディアが実践されていくか、同社からは目が離せない。

 

 

株式会社浜松建設
[諫早市森山町唐比北341-1]

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