記事

元気企業『農事組合法人ながさき南部生産組合』

“食の安全は生産者が守る”環境保全型農業を積極推進

同組合の前身は南部蔬菜生産組合。
食の安全問題がまだ大きな社会問題となっていなかった1975年(昭和50)、現会長理事の近藤一海氏の呼びかけに5名が賛同、25万円の出資金で設立された。
農家育ちという近藤氏自身がずっと疑問を抱いていた農業の生産性の低さや作物の安全性、流通上の問題など旧来の手法を何とか変革しないと農業は良くならない、というのが発端だった。
地元の農業高校を卒業後に上京、大手の卸市場に勤めながら大学にも通い考慮を重ねた。
実際に現場でセリや集荷状況などを観察するうちに、「当時、まだほとんど認知されず技術的な裏付けも乏しかった有機農法と産直に着目し、地元に帰って消費者の食の安全・安心に配慮した作物の生産と流通のシステムを作ろう」(近藤会長理事)と決心したという。

先駆者としての苦悩

さらに量販店や外食専門店、小売チェーン店など今では大手取引先も40社を超えるという。
平成17年と同26年には諫早市と春日市(福岡県)に農家の直売所(大地のめぐみ)を開設し消費者への直販体制も整えているが、他にも福岡の「エフコープ」店や長崎の「ララコープ」店には“てんとう虫農園”の名で、産直のインナーショップも計17店展開している。
国見事業センターが開設された1996年には、すでに全国の産直組織6団体とも提携し、「ぐりーんねっとわーくJAPAN(株)」も設立、今や全国規模へと拡大している。
ちなみに現在、近藤会長理事は「全国産直産地リーダー協議会」と、全国の産直産地のネットワーク組織を立ち上げ、両組織の代表も務めている。
設立40周年を迎えた現在は組合員141名、事業高も全国トップ10に入るまでに成長をとげている。

“キメ細かな品質管理で“食の安全”を追求

早速、当時全国でもほとんど成功事例がなかった有機農法や無農薬栽培に関する各地の研究会に参加し知識習得に努める一方、地元でも南高果樹研究会を立ち上げるなど試行錯誤を繰り返しながら勉強を重ねた。
「最初の10年間は目ぼしい成果もさほどなかった」(近藤会長理事)というように当初は苦難と試行の時期を経験した。
その間にも、従来の農業政策に疑問を抱く若手を中心に自然を大切にした環境保全型農業への認識は高まり賛同者は着実に増えていった。
1991年(平成3)の現法人設立時には出資者50名、事業(売上)高も5億円近くへと徐々に軌道に乗り始める。
「1984年に始まったスーパーマルエツや鹿児島県民生協などとの取引は大手では初めてで本当に嬉しかった」と近藤会長理事は当時を懐かしむ。
その後、全国で頻発した複合汚染や食品公害問題などで消費者の“食への意識”は急速に安全・安心面へと変化を遂げ、同組合の活躍の場は一層広がった。
今では取引先も「生活クラブ生協」や「らでぃっしゅぼーや」、また「ユーコープ」、「コープこうべ」、「首都圏コープ」など順次全国の消費者グループや大手生協にも拡大、同組合の最大の特徴は徹底した厳しい品質管理だ。
組合員に加入時には3年連記式の農家日誌「ぶしょうもん」が配られ、生産履歴の裏付けとなる日々の作業記帳が求められる。
同日誌の表紙裏には「基本協定書(組合員契約書)」と“自然と共生し、環境を破壊しない農業へ”と題された「基本宣言」が記載されている。
もちろん、食の安全の基本となる農薬や化学肥料などの薬剤使用も極力制限されており、記帳内容にもとづいた残留農薬の検査などは計画にもとづいて厳しく実施されている。
また効率の良い栽培をめざすためにトマトやブロッコリー、合鴨農法米など生産者グループごとに実際の圃場(現場)で出荷前などに現地検討会なども定期的に行われている。
環境保全型農業を推進するに際して、同組合ではいち早く平成7年に有機農法団体としての商標登録を済ませており、同14年には環境保全農業で農林水産大臣賞も受賞しているが、同時に農業政策の大きな課題でもある後継者の育成にも熱心だ。
そのひとつが30年の実績をもつ農業研修制度。
域外にも広く門戸を開き全国から毎年希望者を募り、研修の目的別に数日から数年間にも及ぶ合宿形式の各種実践研修を行っているが、その卒業生は全国に及ぶという。

農事組合法人ながさき南部生産組合
[南島原市北有馬町戊2465-1]

関連記事

イチオシ加盟店

  1. 山之内
  2. 有限会社サトーコーポレーション(環境エコ事業部)

加盟店一覧

最新号

松尾先生

OPINION

こちらもどうぞ!

いいね!もおねがいします

ページ上部へ戻る