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島原市シティインフォメーション

島原城築城400年に入り、半年となります。
いよいよこれから秋にかけて記念行事が増えていきます。
これまでの文化講座では、松倉重政公の人物像や大和二見(奈良県五條市)の城主から4万石の殿様として島原半島へ来て、早い段階で北有馬の日野江城や原城を廃城し、新たに森岳の地へ島原城を築いた事、あるいはルソン(フィリピン)への侵攻を幕府へ願い出るなど、4万石にしては分不相応の大きな城を築いた重政公の戦略的な考えなどを学んできました。
当時の日本が西洋との交易やキリシタンの影響などある中で、徳川幕府最大の乱と言われる島原・天草一揆の勃発など、歴史は知れば知るほど興味が湧いてきます。
その400年の1つの史実として33年前の雲仙普賢岳噴火災害も島原城の歴史です。
6月3日の大火砕流発生後、大村の陸上自衛隊第16普通科連隊は災害派遣として島原へ入り、以来1,658日間活動し、その日数は今でも自衛隊の災害派遣最長記録です。
延べ派遣人員207,225人、車両67,847台、航空機5,999機。
何とその間火砕流は9,432回発生しています。
そして、その活動の指揮所が島原城天守閣前広場に設置され、装甲車や輸送車が配置され、24時間、山の監視や無線交信が行われました。
当時の島原城は自衛隊と共にあり、島原市の安全・安心を守ってくれました。
そして、その航空自衛隊の飛行部隊ブルーインパルスが10月20日に島原城上空を中心に島原市で展示飛行を繰り広げます。
島原城築城400年の節目に、これも歴史の1ページとして市民の皆さまと島原城の空を見上げたいと思います。

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