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OPINION「元ホテルオ-クラエンタープライズ洋食調理顧問 浜﨑日出夫」

“旬”の食材見極め素材の美味さをキッチリ引き出すのがプロの仕事

高校時代に初めて食べたトンカツの味が忘れられず、これが料理の道を志すきっかけになりました。
戦後間もない昭和30年代のことですから本当においしかった。

その頃は今と違ってまだ料理人そのものが職業として確立していなかった時代で洋食など夢のまた夢といった感じだったのです。
先生に話すると「何でわざわざ…」とビックリされたくらいですから。
それでも初志貫徹、調理士学校に通って必死に勉強しましたよ。

その甲斐あってか運よくホテルオークラ(東京)に入社でき、一層修行に励みました。
その中で今日の私を育んでくれたのは何といっても、当時ホテルオークラの初代総料理長として活躍されていた小野正吉さんとの出会いですね。
“日本のフランス料理の父”とも称されたほどの人で、我々なんか気軽に口もきけないですよ。

ところが入社10年ほど経ったある日、その小野さんに呼ばれ「俺の食事係をやれ」。

本当にビックリしましたね。
それも「朝、昼、晩と一日3食すべてを作れ」、との命令。
完璧を求め一片の妥協も許さないフランス料理界の巨匠ですから、当時は毎日が針のむしろでしたね。
ホテル内に個室をお持ちでしたからその個室の毎日の整理整頓は当然、食事時間も昼は12時きっかりと時間厳守。
早くても遅くてもだめなんですね。

しかし、これが結果的に私にとってかけがえのない一生の貴重な財産となりました。
最初のうちは怒られることも多かったのですが、それでも事あるごとに貴重なアドバイスも頂きました。
特に食材の“旬”の見分け方や料理の“甘い”と“美味い”の違いなどは徹底的に仕込まれました。

結局、小野総料理長の食事係は2年間続きましたが、何で私が料理係に指名されたのか今でも分かりません。
やはり普段から仕事に誠実に取り組んでいたからなのでしょうかね。

これを切っ掛けに以降も小野さんにはすべてにおいてお世話になりました。

その後、しばらくしてニューヨークの日本総領事館に料理長として5年間出向し、その時ニューヨークの“プラザ”など超一流ホテルでも研修の機会を得て素材と味にシビアな外国人を相手に研鑽を重ねました。
総領事館でも週に2~3回は大使主催のパーティが開かれるのですが、外国人の暮らしや味の好みなど様々な経験を積ませて頂きました。

時折、私も街中のレストランにも行ってみるのですが、どこも料理を無難に仕上げてはいるのですが、あまり食後の余韻が残らない。
店の特徴が出てないんですね。
オードブルから始まりデザートで終わる…、フランス料理は最初と最後が最も大切なんです。
ところで、5年間の出向を経験し日本に帰国出来ると思ったら、そのままヨーロッパへ行き研修して来いとの命令でフランス、モナコ、ニースの超有名ホテルで2年間研修を重ね、その後グアムホテルオークラの総料理長として7年間出向しました。

シラク元仏大統領と

シラク元仏大統領と

東京のホテルオークラに帰ってからは調理開発室長に就任し、その間に長野オリンピックのスポンサービレッジ総料理長や2000年に開催された沖縄サミットの国際メディアセンター総料理長なども歴任しました。

これも、全ては小野総料理長のおかげなんですね。
「浜﨑は海外経験も豊富だし重要な国際的イベントには彼しかいない」と、すべてを後押ししてくれたんですが沖縄サミットの時は本当に大変でしたよ。
衛生管理には最も気を使いましたが、加えてメディア関係者だけでも一食当たりの量が3,000人分。
これを朝・昼・晩の3食と深夜に1,000人分の夜食の計10,000人分を毎日何十種類も作るのです。
しかも食事の好みは国によって異なり、イスラム教関係の国では食材に使えない“ハラーム”の問題もあります。
事前に各国の食事を試作し外務省関係者に5~6回も試食してもらいOKを得ました。

半年前から準備を始め、食材の発注量も何十回と計算しましたよ。
おかげで「オリンピックとサミットを経験したシェフは浜﨑だけ」と言われますが、私自身は「ここまでやったからには次の東京オリンピックも…」と意欲を燃やしてもいます。

ところで私も時々は島原にも帰省するのですが、一般に島原の人は欲がなく活気がないですね。
気候も良く食材も豊富で暮らしやすいのも理由だと思いますが、良い面も多いのですからもっと意欲を前面に出して対外への発信力を高めてもらいたいですね

原田建夫(はらだ・たてお)
浜﨑日出夫(はまさき・ひでお)

プロフィール
1944年(昭和19)、島原市生まれ。1962年に県立島原高校卒業後、調理の道を志し、東京の調理師学校に入学。
1971年、ホテルオークラ(東京)入社。総料理長小野正吉氏に師事しフランス料理を学ぶ。
以後、在ニューヨーク日本総領事館へ料理長として出向以来、ヨーロッパやグアムなど海外経験を積む。
2003年にはホテルオークラ札幌の取締役総料理長に就任。
2007年からはホテルオークラエンタープライズ洋食調理顧問に就任。
ホテルオークラを代表する名物シェフとしても有名。

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